【『初恋の悪魔』感想9話】汚れながら人生は続く・ネタバレあり By - かな 公開:2022-09-20 更新:2022-09-20 かなドラマコラム仲野太賀(太賀)初恋の悪魔松岡茉優林遣都柄本佑 Share Post LINE はてな コメント Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。 2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。 かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。 「君は知っているか。この世には知らない方が良かったことがある」 鈴之介(林遣都)と悠日(仲野太賀)の最初の出会いのとき、鈴之介はそう言った。 恋は(とりわけ失恋は)分かりやすく、その最たるものだ。世の中には頑張っても尽くしてもわめいても報われないことが存在すると身にしみたとき、人は確かに世の中の見方が変わる。 そして、親であったり先輩や上司であったり、自分が盲目的に崇拝する相手が実は凡庸な人物であると、何かのきっかけで見抜いてしまうこと。凡庸ならまだいいけれども、社会的・倫理的に悪いところを見抜いてしまうことさえあって、それもまた人にとっては人生の境界線だと思う。 でも『知らない方が良かったこと』という表現には、結局のところ人はそれを知って、それでも人生は続くというニュアンスがあらかじめ含まれている。 『知らないほうがよかった』の後にあるのは、どんな人生だろうか。 最終話まであと1話、『初恋の悪魔』(日本テレビ 土曜22時)の9話を見ながら考えずにはいられなかった。 画像を見る(全8枚) 優秀だが変人の刑事・鹿浜鈴之介、お人好しの元総務課職員・馬淵悠日、二重人格に揺れる生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)、そして図らずも三角関係になってしまった3人を繋ぐ経理課職員・小鳥琉夏(柄本佑)。 警察組織の主流に乗れない4人は、勝手に自己流の『自宅捜査会議』を繰り返すうちに、5年前から続く少年連続殺人事件に巻き込まれてしまう。 かつての依頼人の冤罪を確信して事件の調査を続けている元弁護士で、現在は作家の森園(安田顕)を加え、面々は連続殺人犯として警察署の署長である雪松鳴人(伊藤英明)への疑念を深めていく。 思えば、第1話の事件(病院内の不審死)の被害者は十代の少年たち。第2話の事件(団地内の空白の殺人)は兄と弟のすれ違い。第3話の事件(万引きの未遂)は、内部の偽証。第4話の事件(世界英雄協会と名乗る動画)は、公権力を介さない私的な制裁。 『自宅捜査会議』を行っていた前半のエピソードは、5~9話までの少年連続殺人事件にループするように繋がっている。 前半と後半を貫いているのは、効率重視で拙速に結論を出そうとする多数派の流れが、ともすれば問題の根源を見逃し、更なる悪を蔓延させるという警告である。 連続殺人の犯人だという確証を掴むために雪松を尾行する悠日と琉夏は、雪松の息子の弓弦が古い靴を廃棄しようとする現場を抑え、それがきっかけで連続殺人事件の真相を聞くことになる。 息子の雪松弓弦を演じる菅生新樹(すごう・あらき)は、今や日本のエンタメを代表する俳優の1人である菅田将暉の実弟とのこと、確かに遠目には兄の面影を彷彿とさせるものがある。 父の犯罪に巻き込まれた息子の悲痛さから一転して、おにぎりを口にしながら刃物を振るい、襲撃者に転じるさまは、見ていて恐怖で肌が粟立つようだった。 『あの』菅田将暉の弟であるというあおりを、最大限に逆手に取った鮮烈な地上波作品デビューである。その大胆さ、覚悟。これからのキャリアが楽しみだ。 それにしても、これが最初の頃の鈴之介ならば、ひとり猟奇犯罪の本を読み漁って、エキセントリックに研ぎ澄まされていた鈴之介なら、家族の犯罪を告発しているということを差し引いても、刃物のある部屋に事件がらみの青年を一人で放置したりしないのではないかと思ってしまう(5話で描かれたが、そもそも鈴之介の自宅には地下室もある)。 おそらく星砂への想いと惑乱が、一連の事件の中でその判断の切れ味を狂わせたのだと思う。 友人を得て、恋をして、それがきっかけで友人との関係が互いに微妙なものになり、もがくうちに彼らは最初に持っていた「マーヤーのヴェールを剥ぎ取る」ための第三の目を曇らせてしまう。 そして、毛布を与え、温かな善意で差し出したおにぎりが、底知れぬ害意の呼び水になってしまう展開は、人の善を前提とする繋がりが、その居心地の良さで悪も同様に培養してしまう現実を反映しているようでやるせない。 それでも、禁断の実の林檎を口にすることが無垢の喪失で、苦しみの始まりなら、せめて大切な人と上手に剥いて分かち合い、その記憶とともに生きて死にたい。 その優しさが時に悪を引き入れる可能性があるとしても、居場所のない絶望する誰かのために、優しくてでたらめなお伽話を口にして、風の吹く夜を遠回りをして歩きたい。 物語の最後に、私たちは何を見つけるだろうか。 優しきマイノリティの4人それぞれに、風の吹く日が来てくれるといいなと願う。 この記事の画像(全8枚) ドラマコラムの一覧はこちら [文・構成/grape編集部] かな Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。 ⇒ かなさんのコラムはこちら 快挙を成し遂げた狩野英孝、帰国便の搭乗券をよく見ると… 「さすがJAL」の声ホノルルマラソンから帰国する狩野英孝さんに、JALが用意したサプライズとは…。 ロケで出会う人を「お母さん」と呼ぶのは気になる ウイカが決めている呼び方とは?タレントがロケで街中の人を呼ぶ時の「お母さん」「お父さん」に違和感…。ファーストサマーウイカさんが実践している呼び方とは。 Share Post LINE はてな コメント
Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。
2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。
かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。
「君は知っているか。この世には知らない方が良かったことがある」
鈴之介(林遣都)と悠日(仲野太賀)の最初の出会いのとき、鈴之介はそう言った。
恋は(とりわけ失恋は)分かりやすく、その最たるものだ。世の中には頑張っても尽くしてもわめいても報われないことが存在すると身にしみたとき、人は確かに世の中の見方が変わる。
そして、親であったり先輩や上司であったり、自分が盲目的に崇拝する相手が実は凡庸な人物であると、何かのきっかけで見抜いてしまうこと。凡庸ならまだいいけれども、社会的・倫理的に悪いところを見抜いてしまうことさえあって、それもまた人にとっては人生の境界線だと思う。
でも『知らない方が良かったこと』という表現には、結局のところ人はそれを知って、それでも人生は続くというニュアンスがあらかじめ含まれている。
『知らないほうがよかった』の後にあるのは、どんな人生だろうか。
最終話まであと1話、『初恋の悪魔』(日本テレビ 土曜22時)の9話を見ながら考えずにはいられなかった。
優秀だが変人の刑事・鹿浜鈴之介、お人好しの元総務課職員・馬淵悠日、二重人格に揺れる生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)、そして図らずも三角関係になってしまった3人を繋ぐ経理課職員・小鳥琉夏(柄本佑)。
警察組織の主流に乗れない4人は、勝手に自己流の『自宅捜査会議』を繰り返すうちに、5年前から続く少年連続殺人事件に巻き込まれてしまう。
かつての依頼人の冤罪を確信して事件の調査を続けている元弁護士で、現在は作家の森園(安田顕)を加え、面々は連続殺人犯として警察署の署長である雪松鳴人(伊藤英明)への疑念を深めていく。
思えば、第1話の事件(病院内の不審死)の被害者は十代の少年たち。第2話の事件(団地内の空白の殺人)は兄と弟のすれ違い。第3話の事件(万引きの未遂)は、内部の偽証。第4話の事件(世界英雄協会と名乗る動画)は、公権力を介さない私的な制裁。
『自宅捜査会議』を行っていた前半のエピソードは、5~9話までの少年連続殺人事件にループするように繋がっている。
前半と後半を貫いているのは、効率重視で拙速に結論を出そうとする多数派の流れが、ともすれば問題の根源を見逃し、更なる悪を蔓延させるという警告である。
連続殺人の犯人だという確証を掴むために雪松を尾行する悠日と琉夏は、雪松の息子の弓弦が古い靴を廃棄しようとする現場を抑え、それがきっかけで連続殺人事件の真相を聞くことになる。
息子の雪松弓弦を演じる菅生新樹(すごう・あらき)は、今や日本のエンタメを代表する俳優の1人である菅田将暉の実弟とのこと、確かに遠目には兄の面影を彷彿とさせるものがある。
父の犯罪に巻き込まれた息子の悲痛さから一転して、おにぎりを口にしながら刃物を振るい、襲撃者に転じるさまは、見ていて恐怖で肌が粟立つようだった。
『あの』菅田将暉の弟であるというあおりを、最大限に逆手に取った鮮烈な地上波作品デビューである。その大胆さ、覚悟。これからのキャリアが楽しみだ。
それにしても、これが最初の頃の鈴之介ならば、ひとり猟奇犯罪の本を読み漁って、エキセントリックに研ぎ澄まされていた鈴之介なら、家族の犯罪を告発しているということを差し引いても、刃物のある部屋に事件がらみの青年を一人で放置したりしないのではないかと思ってしまう(5話で描かれたが、そもそも鈴之介の自宅には地下室もある)。
おそらく星砂への想いと惑乱が、一連の事件の中でその判断の切れ味を狂わせたのだと思う。
友人を得て、恋をして、それがきっかけで友人との関係が互いに微妙なものになり、もがくうちに彼らは最初に持っていた「マーヤーのヴェールを剥ぎ取る」ための第三の目を曇らせてしまう。
そして、毛布を与え、温かな善意で差し出したおにぎりが、底知れぬ害意の呼び水になってしまう展開は、人の善を前提とする繋がりが、その居心地の良さで悪も同様に培養してしまう現実を反映しているようでやるせない。
それでも、禁断の実の林檎を口にすることが無垢の喪失で、苦しみの始まりなら、せめて大切な人と上手に剥いて分かち合い、その記憶とともに生きて死にたい。
その優しさが時に悪を引き入れる可能性があるとしても、居場所のない絶望する誰かのために、優しくてでたらめなお伽話を口にして、風の吹く夜を遠回りをして歩きたい。
物語の最後に、私たちは何を見つけるだろうか。
優しきマイノリティの4人それぞれに、風の吹く日が来てくれるといいなと願う。
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[文・構成/grape編集部]
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