自分に何ができるのか 大切なのは、まず「考える」ということ By - 吉元 由美 公開:2022-12-18 更新:2023-02-09 エッセイ吉元由美 Share Post LINE はてな コメント 吉元由美の『ひと・もの・こと』 作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。 たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。 クリスマスにできること 12月、街は賑やかになってきました。今年はいつも以上に賑わっていると感じるのは、息苦しさが少し和らいだからでしょうか。 混雑している場所は苦手ですが、これが12月、そして年の暮れまでの光景なのだとほっとします。あたりまえであることの大切さ。『日常』のありがたさ。 まだ息苦しさは残っているとはいえ、多くの人が『日常』を過ごせることは本当に大切なことなのですね。それを意識してみると、毎日のルーティンの中にも輝きが生まれます。 娘が小学校3年生だった16年前の12月のこと。学校から帰り鞄を置くや否や、 「明日、渋谷で寄付のチラシを配ってもいい?」 と言い出しました。通学路である渋谷駅の同じ場所に、いつも寝ているホームレスのおじいさんがいる。靴下を履いていないから足が寒そうだから、パパの靴下をあげてもいい?と言うのです。 そして、セーターや靴下を寄付してもらうためにチラシを作って配りたい、と。 自分に何ができるのだろう。寒そうなおじさんの姿を見て、ものすごく考えながら帰ってきたのだと思います。 そして、小学生の自分にできる精一杯のことを思いついたのでしょう。この気持ちを大切にしなければと思いました。 そして注意深く、話し合うことにしたのです。 チラシを配って靴下を集めても、おじさんの解決にはつながらないこと。それにはもっと大きな課題があること。 ささやかなことでも私たちにできることをしよう、と考えたのは、クリスマスケーキのお金を献金することでした。 それ以来、我が家ではクリスマスケーキは買わず、娘が学校の礼拝のときにその分を献金したのです。 ここ数年は、クリスマスに炊き出しをする我が家の近くの教会に無洗米を献品します。クリスマス精神というよりも、実は社会奉仕に参加していない私の罪滅ぼしのような気持ちもあるのです。 以前インドを訪れたとき、物乞いや物売りの少年、少女たちにどう対応していいか悩んだことを思い出します。 少しばかりのお金を渡しても、それでいいのか。でも、その日に食べ物を買うお金になれば命が繋がるのだからいいのではないか。 自分の思う施しは、ただの自己満足ではないか。そもそもそんなことで悩むこと自体、驕りではないか。働こうとしない彼らに問題があるのではないのか。 でも、この社会にはさまざまな事情で弱い立場にある人もいる……。 自分に何ができるのか。そう考えたとき、そのときにできる最善のことをする。小さなことでも何か行動する。大切なのは、まず「考える」ということなのだと思います。 教会のロビーに立っているクリスマスツリーの下には、さまざまな献品が寄せられています。今年も無洗米を20kg届けてきます。クリスマス精神のささやかな発露として。 ※記事中の写真はすべてイメージ 作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー [文・構成/吉元由美] 吉元由美 作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。 ⇒ 吉元由美オフィシャルサイト ⇒ 吉元由美Facebookページ ⇒ 単行本「大人の結婚」 快挙を成し遂げた狩野英孝、帰国便の搭乗券をよく見ると… 「さすがJAL」の声ホノルルマラソンから帰国する狩野英孝さんに、JALが用意したサプライズとは…。 ロケで出会う人を「お母さん」と呼ぶのは気になる ウイカが決めている呼び方とは?タレントがロケで街中の人を呼ぶ時の「お母さん」「お父さん」に違和感…。ファーストサマーウイカさんが実践している呼び方とは。 Share Post LINE はてな コメント
吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
クリスマスにできること
12月、街は賑やかになってきました。今年はいつも以上に賑わっていると感じるのは、息苦しさが少し和らいだからでしょうか。
混雑している場所は苦手ですが、これが12月、そして年の暮れまでの光景なのだとほっとします。あたりまえであることの大切さ。『日常』のありがたさ。
まだ息苦しさは残っているとはいえ、多くの人が『日常』を過ごせることは本当に大切なことなのですね。それを意識してみると、毎日のルーティンの中にも輝きが生まれます。
娘が小学校3年生だった16年前の12月のこと。学校から帰り鞄を置くや否や、
「明日、渋谷で寄付のチラシを配ってもいい?」
と言い出しました。通学路である渋谷駅の同じ場所に、いつも寝ているホームレスのおじいさんがいる。靴下を履いていないから足が寒そうだから、パパの靴下をあげてもいい?と言うのです。
そして、セーターや靴下を寄付してもらうためにチラシを作って配りたい、と。
自分に何ができるのだろう。寒そうなおじさんの姿を見て、ものすごく考えながら帰ってきたのだと思います。
そして、小学生の自分にできる精一杯のことを思いついたのでしょう。この気持ちを大切にしなければと思いました。
そして注意深く、話し合うことにしたのです。
チラシを配って靴下を集めても、おじさんの解決にはつながらないこと。それにはもっと大きな課題があること。
ささやかなことでも私たちにできることをしよう、と考えたのは、クリスマスケーキのお金を献金することでした。
それ以来、我が家ではクリスマスケーキは買わず、娘が学校の礼拝のときにその分を献金したのです。
ここ数年は、クリスマスに炊き出しをする我が家の近くの教会に無洗米を献品します。クリスマス精神というよりも、実は社会奉仕に参加していない私の罪滅ぼしのような気持ちもあるのです。
以前インドを訪れたとき、物乞いや物売りの少年、少女たちにどう対応していいか悩んだことを思い出します。
少しばかりのお金を渡しても、それでいいのか。でも、その日に食べ物を買うお金になれば命が繋がるのだからいいのではないか。
自分の思う施しは、ただの自己満足ではないか。そもそもそんなことで悩むこと自体、驕りではないか。働こうとしない彼らに問題があるのではないのか。
でも、この社会にはさまざまな事情で弱い立場にある人もいる……。
自分に何ができるのか。そう考えたとき、そのときにできる最善のことをする。小さなことでも何か行動する。大切なのは、まず「考える」ということなのだと思います。
教会のロビーに立っているクリスマスツリーの下には、さまざまな献品が寄せられています。今年も無洗米を20kg届けてきます。クリスマス精神のささやかな発露として。
※記事中の写真はすべてイメージ
作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」