押阪忍が語る 『奥の細道』収録の思い出〜その弐
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- 出典
- 芭蕉自筆奥の細道
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こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。
『奥の細道』収録の思い出〜その壱はこちら
『奥の細道』その弐
松尾芭蕉の『奥の細道』朗読作品の収録で、改めて調べたり読んだりして深く心に刻まれた拙い感想文です。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」
この書き出しで始まる芭蕉の『奥の細道』は、東北 北陸道 およそ1,900キロを140日余りをかけて旅をした『漂白の詩人』の優れた紀行文であり、崇高な文学作品でもあります。
江戸を出発した芭蕉は、先ず日光で「あらたふと青葉若葉の日の光、平泉では、夏草や兵どもが夢の跡」、山形では、「五月雨を集めて早し最上川」など数々の名句を残します。そして同じ山形の立石寺で、あの有名な句を残すのですが、あの句が完成するまで、芭蕉は、深閑とした山寺の風景と相対峙しながら、かなり もがき苦しみ難渋した…と監修者から聴きました。
山寺や 石にしみつく 蝉の音、さびしさや 岩にしみつく蝉のこえ…など数句を作るのですが、紀行文には載せていないのです。名句誕生前には、格闘といってよいほどの 苦しみがあったのかも知れませんね。
では、その山寺とは どんな光景だったのでしょうか。芭蕉が綴ったその山寺の情景と、熟考に熟考を重ね、やっと納得して心に決めた あの名句です。
山形領に立石寺といふ山寺あり。(中略) 山上の堂に登る。岩に巌を重ねて山とし、松柏年ふり、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸を巡り岩を這ひて、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみ覚ゆ。
閑さや 岩にしみ入る 蝉の声
<2019年11月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2019年現在、アナウンサー生活61年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。