日本人が古来大切にしてきた「美しいか、美しくないか」と自分に問い、判断する感性
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
「それは、美しいか美しくないか」という感性が、あなたを美しくする
「神道には教えがないのです」
熊本の幣立神社の神主さんが語った話を、インターネットの記事に見つけました。
教えがないから、裁きはない。落ちる地獄もない。地獄がないから救ってくれる救世主はいらない。教えも救世主もなければ宗教とは言えません。
私たちがお参りしている神社、神道は日本人の『生活』にあり、私たちの深い叡智とつながっていると言います。教えがなければ、何があったのか。
それは、「美しいか、美しくないか」と判断する感性がある。「その行為は美しいのか」と自分に問い、判断する感性です。つまり、私たちの中にすべての答えがあるということです。
2004年に『美醜の境界線』(河出書房出版)という本を出版しました。今は絶版となっており残念なのですが、この神主さんの言葉にOKサインをいただいて安堵しました。
その言葉、行動、考え方は美しいか、美しくないか。その基準が自分の中にあると、生き方、あり方が整っていく感があります。生き方というと大袈裟に聞こえるかもしれません。
例えば、SNSにどんな発信をするかというのもその人の価値観や感性の表れであり、そんな些細なことが人生を創る瞬間となります。
となると、疎かにできない、些細なことも大切にしようという気になるものです。
私たちが自分を高めたいと思ったとき、迷っているとき。正しいか正しくないか、利益になるかならないかという実利的な基準とは別の指針、それが、日本人が古来大切にしてきた「美しいか、美しくないか」という基準です。
どんなに古い神社でも、隅々まで掃き清められています。ここに神道の精神があります。大祓詞には「祓へ給え 清め給へ」とあります。
何を祓い、清めるのか。心を清め、エゴを祓うということ。そこに「美しいか、美しくないか」という基準があります。
「祓へ給え 清め給へ」という祝詞のこの言葉に、すべて集約されているのです。
例えば、少々苦労をしても最善を選ぶのか、ただ損か得かで選ぶのか。また、例えば『軽やかな人』と『軽い人』は似て非なるものです。
美醜の境界線は、ただ美しい、醜いと言っているのではなく、そこには常識や良識を超えた研ぎ澄まされた叡智がある。
それは特別な人だけが持っているのではなく、誰の心の奥にも宿っている。自分自身に問い続けながら、そこへ向かっていくこと。
神社の祭壇には大鏡が置かれています。なぜ鏡なのか。そこに自分を映してみる。
『かがみ』から『が、我』を取り除いたら『かみ』になる。毎日見る鏡の中の自分が、すっきりと爽やかであるように。生活の中に、『道』があるのですね。
いのちを紡ぐ言葉たち かけがえのないこの世界で
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※記事中の写真はすべてイメージ
作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」