【震災遺構を歩く】『奇跡の一本松』が物語る震災からの5年
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津波の威力を物語っていたのは、校舎だけではなかった。周辺に立っていたであろう柱や、学校の門だったであろう「気仙中学校」と書かれた大きな石。もう手入れがされていない長い草が敷地を埋め尽くし、錆びれた校舎を覆っている。
朝日新聞のインタビューを受けた鈴木秀行副校長は、震災当時の気仙中学校には翌週の卒業式に備え、合唱練習を行っていた全校生徒86人と教職員がいたと語った。津波の警報を聞き、いったん学校のそばにあった駐車場に避難をしたものの、すぐに気仙川の川底が見え、5分も待たずにすぐまた高台を目指した。
高台から見えた光景は、川を遡ってきた津波にあっという間に飲み込まれてしまった校舎と、ついさっき避難していた駐車場だった。
しかしこの素早い判断と行動力により、幸い生徒と教職員は全員無事に逃げ切ることができた。
そんな経験を経て、平成23年から気仙中学校は旧矢作中学校校舎で授業を再開している。昭和56年から立っている校舎は被災してしまったが、防災教育上においても意義があると市に判断され、震災遺構として保存活用に向けて検討が進んでいる。そして今も傷跡が残ったままそびえ立っている。
残されたベルトコンベア
中学校の隣に大きな橋のようなものがあった。両端が切断されたかのように唐突に始まって終わった「橋」は、実はベルトコンベアだった。震災直後山から土砂を運ぶために作られたベルトコンベアは、現地の人は「まるでアトムの世界」のようだったと言い、「希望の架け橋」とも呼んでいた。
このベルトコンベアは運営されていた頃には全長3キロほどであったらしく、川を挟んだ向こう側の山を削りとって土を運び、市内のかさ上げ工事に使われていた。既に運休されているが、その周辺には現在工事が広い範囲で行われている。
震災から5年が経過した今でも、工事現場はまだ土の整備をしている段階が多い。堤防を高くしたり道 路を高くする予定の工事も、工事現場で働く方々に聞くとまだ3年以上かかる場合がほとんどであった。
現地で実際見てみないと実感できなかった、進んでいるようで進んでいないような復興の現状を目の当たりにしたように思えた。被災地に暮らしていない私たちには何ができるのだろうか、と改めて考えされられた。
奇跡の一本松
ベルトコンベア、工事現場、そして中学校からさほど遠くない場所に一本の細長い木が立っている。 その木は、同じく陸前高田の被害と復興を物語る一本松である。
今となっては有名な「奇跡の一本松」。「希望の松」とも呼ばれているこの木の周りは、かつて350年にわたって植林された、7万本の松の木が2キロの距離に広がっていた。高田松原の名称で親しまれていたその場所は、日本百景などにも指定されるほど美しい緑の楽園だった。
出典:YouTube
私たちはそこを目指し、気仙中学校から車で5分ほど移動した。一本松の近くにある「奇跡の一本松茶屋」という施設の駐車場に車を止めた。そこから曲がりくねった道を15分ほど歩き、やっと一本松の目の前に立つことができた。