【震災遺構を歩く】『奇跡の一本松』が物語る震災からの5年
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被災地で語りつがれる個々の記憶
陸前高田に残されていた遺構や奇跡の一本松は、一見寂しそうにポツリと立っているように見える。周辺にあったものがほとんどなくなってしまったこともあり、なんだか悲しい景色とさえ思ってしまう。しかしそんな遺構は、逆を言えば津波にも負けずに生き残ったものでもある。
一つ寂しそうに立っているというよりも、津波の爪痕を覆いながらも力強く立っているように見えた。震災前の景色の中ではもう存在することはできないけれど、今後は復興のシンボルとして人々に勇気を与えながら存在していくことはできる。
そして遺構にそれぞれ歴史や背景があると同じように、震災から生き残った人々にも一人ひとり自分たちの記憶がある。これらは一つひとつ異なり、一つひとつ大事にしたいものである。しかし震災の規模が大きかった故に、私たちは被災した方々が抱えるすべての体験を聞くことは到底無理である。
だが少なくとも私たちにできることは、直接聞き出すことがないとしても、なるべく多くの話に触れ、それを風化させないように追求していくことなのかもしれない。そして「被災」という経験に一括りされてしまうことがある彼らの過去はすべて違い、すべて大切であることを再認識することなのではないか。
悪夢のような東日本大震災の日、奇跡的に助かった人たちは変わり果てた地元で暮らしているとも言えるかもしれないが、実際は陸前高田市の各所に立ちそびえる遺構のように、復興を常に目指しながら、力強く前に進み続けている。
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