両脚だけでなく手まで麻痺が… パラ水泳の女王・成田真由美の新たな挑戦 By - grape編集部 公開:2016-09-20 更新:2018-05-25 パラスポーツ(障がい者スポーツ)水泳 Share Post LINE はてな コメント 1996年のアトランタ大会を皮切りに、シドニー、アテネ、北京と4大会連続のパラリンピック出場を果たし、なんと通算20個ものメダル(うち15個が金メダル)を獲得するという快挙を成し遂げた、競泳の成田真由美選手。 両足が不自由で車いす生活を送りながらも民間企業に勤務。同時にトレーニングや講演活動もこなす彼女のトレードマークはにこやかな笑顔。 しかし、46歳の今日まで彼女が歩んできた人生は、その笑顔から想像もできないほど壮絶なものでした。 成田選手は1970年神奈川県川崎市生まれ。元気で活発な女の子でしたが、中学1年生のときに膝の手術を受けたのがきっかけで脊髄炎を発症。後遺症で両足が麻痺、中学3年生の1年間は病院のベッドで寝たきりで過ごすことに…。 主治医らに教わりながら受験勉強をして、1年遅れで高校、続いて大学にも入学を果たすものの、いずれも病気でほとんど登校ができず、一時は2ヶ月間も意識を失うなど生死の境をさまよったこともあるそうです。 ※画像はイメージです。 そんな成田選手ですが、22歳の時に偶然チェアスキーという障害者スポーツをしたことで、体を動かす楽しさに目覚めます。そして翌年23歳のときには、12年ぶりにプールへ! 「水に入った瞬間、いつも重かった体がとても軽く感じられて、本当に気持ちが良かった!それに自分が泳げることが嬉しくて、水泳を続けていくことにしたのです」と成田選手。 そして水泳を始めてからわずか1ヶ月後には、仙台市で行われた大会に出場、いきなり25m自由形と50mで大会記録を更新、優勝を果たしました。 しかし喜んだのもつかの間。その大会の帰り道に成田選手の乗った車が事故に巻き込まれ、成田選手は頸椎損傷の大けがを負い、5ヶ月の入院生活を余儀なくされてしまいます。しかも左手には強度の麻痺が、右手にも軽度の麻痺が残ってしまったのです。大きなショックを受けた成田選手。 ※画像はイメージです。 「足だけでなく、今度は手まで…。どうやって生きていけばいいのか…」と、しばらくは茫然自失の日々が続きました。 そんな成田選手を奮い立たせたのは「もう一度泳ぎたい!」という強い願いでした。 その願いに背中を押され、辛いリハビリに耐えた成田選手は見事、競技に復帰。アトランタで行われたプレパラリンピックでは出場した3種目すべてで金メダルを獲得。 ここから成田選手の快進撃が始まったのです。 そして関節の故障や体調の悪化を理由に、2008年北京オリンピックを最後に第一線から退いた成田選手ですが、2016年に競技に復帰。再び世界の舞台に戻ってきました。 46歳という年齢から考えると、彼女の再挑戦は決して容易なことではありません。しかし、彼女はこう言い切ります。 「普段から心がけているのは、『ダメだ出来ないと思うのも自分、やるぞと思うのも自分、全てが自分の気の持ちようだ』ということです。与えられた障がいを受けとめ、一度しかない人生だから楽しもうと思っています」 成田選手の新たな挑戦に、みんなで心からのエールを送りたいですね! ダルビッシュ有が日本に帰国 向かった先は…?2024年11月12日、メジャーリーグの『サンディエゴ・パドレス』に所属するダルビッシュ有選手が、自身のブログを更新。日本に一時帰国していたことを明かしました。 元プロ野球選手 清原和博容疑者、逮捕される ファンは動揺…2016年2月2日、元プロ野球選手の清原和博容疑者が、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました 出典 【NHKリオ】あらっ?アジア新記録?成田真由美選手 競泳女子50m背泳ぎS5(運動機能)/【NHKリオ】帰ってきた水の女王、46歳 成田真由美選手 競泳女子50m背泳ぎ決勝S5(運動機能) Share Post LINE はてな コメント
1996年のアトランタ大会を皮切りに、シドニー、アテネ、北京と4大会連続のパラリンピック出場を果たし、なんと通算20個ものメダル(うち15個が金メダル)を獲得するという快挙を成し遂げた、競泳の成田真由美選手。
両足が不自由で車いす生活を送りながらも民間企業に勤務。同時にトレーニングや講演活動もこなす彼女のトレードマークはにこやかな笑顔。
しかし、46歳の今日まで彼女が歩んできた人生は、その笑顔から想像もできないほど壮絶なものでした。
成田選手は1970年神奈川県川崎市生まれ。元気で活発な女の子でしたが、中学1年生のときに膝の手術を受けたのがきっかけで脊髄炎を発症。後遺症で両足が麻痺、中学3年生の1年間は病院のベッドで寝たきりで過ごすことに…。
主治医らに教わりながら受験勉強をして、1年遅れで高校、続いて大学にも入学を果たすものの、いずれも病気でほとんど登校ができず、一時は2ヶ月間も意識を失うなど生死の境をさまよったこともあるそうです。
※画像はイメージです。
そんな成田選手ですが、22歳の時に偶然チェアスキーという障害者スポーツをしたことで、体を動かす楽しさに目覚めます。そして翌年23歳のときには、12年ぶりにプールへ!
「水に入った瞬間、いつも重かった体がとても軽く感じられて、本当に気持ちが良かった!それに自分が泳げることが嬉しくて、水泳を続けていくことにしたのです」と成田選手。
そして水泳を始めてからわずか1ヶ月後には、仙台市で行われた大会に出場、いきなり25m自由形と50mで大会記録を更新、優勝を果たしました。
しかし喜んだのもつかの間。その大会の帰り道に成田選手の乗った車が事故に巻き込まれ、成田選手は頸椎損傷の大けがを負い、5ヶ月の入院生活を余儀なくされてしまいます。しかも左手には強度の麻痺が、右手にも軽度の麻痺が残ってしまったのです。大きなショックを受けた成田選手。
※画像はイメージです。
「足だけでなく、今度は手まで…。どうやって生きていけばいいのか…」と、しばらくは茫然自失の日々が続きました。
そんな成田選手を奮い立たせたのは「もう一度泳ぎたい!」という強い願いでした。
その願いに背中を押され、辛いリハビリに耐えた成田選手は見事、競技に復帰。アトランタで行われたプレパラリンピックでは出場した3種目すべてで金メダルを獲得。
ここから成田選手の快進撃が始まったのです。
そして関節の故障や体調の悪化を理由に、2008年北京オリンピックを最後に第一線から退いた成田選手ですが、2016年に競技に復帰。再び世界の舞台に戻ってきました。
46歳という年齢から考えると、彼女の再挑戦は決して容易なことではありません。しかし、彼女はこう言い切ります。
「普段から心がけているのは、『ダメだ出来ないと思うのも自分、やるぞと思うのも自分、全てが自分の気の持ちようだ』ということです。与えられた障がいを受けとめ、一度しかない人生だから楽しもうと思っています」
成田選手の新たな挑戦に、みんなで心からのエールを送りたいですね!