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生島ヒロシの現在は? 過去の年収がとんでもなかった!

By - grape編集部  公開:  更新:

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生島ヒロシ

生島ヒロシ(いくしまひろし)さんは、アナウンサー歴43年の大ベテラン。ツンツンヘアとにこやかな笑顔が印象的です。

生島さんはもともとTBSのアナウンサーで、独立後は芸能プロダクション『生島企画室』を立ち上げ社長に就任しています。

さらに作家としても多くの本を出版するなど、さまざまな分野で大活躍です。

ここでは、生島ヒロシさんのこれまでの経歴、作家としての活動内容、家族についてをご紹介します。

生島ヒロシは元TBSアナウンサー

生島ヒロシさんは、1976年にTBSに入社。ラジオ番組を振出しに、アナウンサーとして活躍しています。

TBSに入社する前、大学生のころに生島さんは単身渡米。1975年にカリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業しています。海外生活を送る中で、子供のころからの赤面症を克服し、アナウンサーの夢が芽生えたそうです。

また、現地の人々の自分の意見をしっかりと主張し、個性を出す姿に感銘を受けた生島ヒロシさんは、帰国後の1976年、セミロングヘアにタートルネックといういでたちでTBSの入社試験を受けたのだとか!

最終面接で「いずれ独立する」と宣言。この生島ヒロシさんの型破りなキャラクターが当時の社長の心をつかみ、TBSに採用されました。

そして13年後の1989年、生島ヒロシさんは宣言どおりにTBSを退社。退社すると同時に、芸能プロダクション『生島企画室』を立ち上げています。

『生島企画室』には、タレントの優木まおみさん、フリーアナウンサーの小林麻耶さんなど人気者も多く在籍していて、タレント、文化人が約80人、社員が14人の大所帯に成長しています。

生島ヒロシ現在はラジオ番組『おはよう一直線』に出演

生島ヒロシさんは、現在ラジオ『生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線』(TBSラジオ系)のパーソナリティを務めています。番組のコンセプト『聴くスポーツ新聞』ニュース、スポーツ、健康、シニアライフ、介護などを生島ヒロシさんが分かりやすく、元気に伝えています。

1998年にスタートした番組は、2019年で22年目。7月22日で放送5千555回を迎え、東日本大震災の被災地、福島県から公開生放送されました。

生島ヒロシさんは、最近肋骨を骨折したばかりでしたが、順調に回復しているようで、笑いをまじえながら語りました。

「まさか、ここまで来られるとは…。気が付けば、ゴーゴーゴーゴー!骨折にも負けず、日本中を笑顔にするため、骨を折っております」

「被災地の復興のために、少しでも役立てたら嬉しいです。1万回目指して頑張ります」

生島ヒロシのおはよう定食 一直線 ーより引用

宮城県気仙沼市出身の生島ヒロシさんは、復興への思いも人一倍強いのかもしれませんね。生島ヒロシさんの元気な声に被災地の人たちも元気づけられているのではないでしょうか。

生島ヒロシの年収がとんでもなかった! 著書につづられた歴史

生島ヒロシさんは、これまで数多くの本を出版しています。2018年発売の『口下手な人のためスピーチ術』では、『話の達人』である生島ヒロシさんが愛される話しかたやアガらないコツなど話しかたについて解説する力作で、全国のコンビニ『ローソン』にも並び多くの人が手に取りました。

そのほかにも、独立後取得したファイナンシャルプランナーとしての知識を生かし、相続などお金についての本も多数執筆しています。

そして、2019年4月には、自著『どん底に落ちてもはい上がる37のストーリー』が刊行され、話題になりました。

生島ヒロシさんは、1989年にTBSを退社後自身の事務所『生島企画室』を設立。フリーアナウンサーとなってからは、年収はTBSアナウンサー時代の1千200万円から1億2千万円、3年目には3億6千万円にまで増えたのだそう。

一方で都心に1億6千万円のマンションに事務所を構え、都内に4億円の自宅を購入。ほかにも不動産投資に数億円も使ったのだとか!ところが知人から金融商品投資でだまされるなどして、約10億円もの借金を生島ヒロシさんは背負うことになってしまいました。

このような窮地に立たされながらも前向きに苦難と向き合い、乗り越えてきた生島さん。

そんな生島ヒロシさんの体験からの気付きが『どん底に落ちてもはい上がる37のストーリー』にはたくさん書かれていて、生きるヒントを与える1冊だといえます。

生島ヒロシの妻・子供は?

生島ヒロシさんには、妻と2人の息子がいて、たびたび家族についてブログやメディアで語っています。

生島ヒロシがブログで新年の挨拶!妻と息子についても紹介

生島ヒロシさんは、2011年の正月に家族の紹介をしていました。

新年の挨拶をした後、生島さんは家族についてこのようにつづっています。

昨年、ついに年男となり還暦を迎えました。改めて、人生には『上り坂、下り坂、まさかの坂』があると痛感。父が53歳で他界したことを思うと、「よくここまでこれた」と感無量でした。
これからは、『世の為、人の為、3番目に自分の為』(笑)の精神で、社会のお役に立っていきたいと考えています。
生島企画室はお陰様で、看板娘・優木まおみの活躍、そして女優・浅野温子を迎え、更に女優・三田佳子さんとも業務提携をする運びになりました。
長男の勇輝は、ケイダッシュ・川村会長にスカウトされ、今年から俳優デビュー。
次男の翔は、NY大学を卒業後、NY、ドイツでコンテンポラリーダンサーとして活躍していましたが、ナント!今年は日本の某大学院を受験すると言い出し、将来は起業するんだと何やら大口を叩いております。

妻は、琴以外に三味線も始め、今年の九月には、ヘッセン公爵のお城に招かれた先生達とドイツ演奏旅行というビッグイベントに嬉々としています。世田谷区の社協からボランティアで表彰される事も、喜びの1つのようです。

生島ヒロシ オフィシャルブログ ーより引用

家族の仲のよさが伝わってきますね。

生島ヒロシさんは、愛妻家としても知られていて、2014年発売の女性セブンではこのように語っています。

「妻の言葉で印象的だったのは、ぼくがTBSを辞めてフリーになったとき。収入が安定するかどうかわからないぼくに対して、“大丈夫、100万人敵がいても、私があなたを守る”と言ってくれたんです。何よりの心の支えとなりました」

女性セブン ーより引用

TBSを退社後、さまざまな苦難に見舞われた生島ヒロシさんでしたが、そばにはいつも妻の存在があったのですね。

生島ヒロシの息子は俳優

生島ヒロシさんには、長男・生島勇輝さんと、次男・生島翔さんの2人の息子がいます。

長男の生島勇輝さんは、当初ラッパーになりたいという夢がありました。そのことで父親の生島ヒロシさんと衝突した過去もあったようですが、現在は俳優として活躍中。

ドラマ『緊急取調室』(テレビ朝日系)、『医師たちの恋愛事情』(フジテレビ系)や、映画『図書館戦争』『闇金ウシジマくん Part2』など多数のドラマや映画に出演しています。

次男の生島翔さんは、15歳でダンスを勉強するために単身アメリカへ渡っています。その後、ニューヨーク大学ティッシュ校ダンス科を3年で卒業し、2010年に帰国。ダンサーとして演者だけでなく振り付けや企画も担当するなど活躍中です。

また、2018年にはハリウッド映画デビューもしていてジュリアス・ナッソー監督の『DARC』で準主役に抜擢され、椎名桔平さん、渡辺哲さんとも共演を果たしています。

生島ヒロシの現在・これから

生島ヒロシさんは、現在ラジオ『生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線』などアナウンサーとしての活動、『生島企画』の社長業、本の執筆などさまざまな分野で大活躍です。

どん底を経験しながらも、持ち前の明るさと根性で乗りこえてきた生島ヒロシさん。今後の活躍も楽しみですね!

生島ヒロシ プロフィール

生年月日:1950年12月24日
出身地:宮城県
所属事務所:生島企画室

1971年、単身渡米。カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科に進み、1975年に卒業。1976年、TBSに入社。ラジオ番組を振り出しにアナウンサーとして活躍する。1989年にTBSを退社。同年、『生島企画室』を設立。現在、ラジオ『生島ヒロシのおはよう定食・一直線』などの番組出演、本の執筆など多方面で活躍中。


[文・構成/grape編集部]

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出典
生島ヒロシのおはよう定食 一直線生島ヒロシ オフィシャルブログ女性セブン

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