寛容さが失われ、白か黒かで分断していく 日本は、今、岐路に立たされている
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
曖昧な言葉に寛容さが宿っている
日本語には、曖昧、または玉虫色的なニュアンスを持つ言葉がたくさんあります。
「ほどほどに」「よしなに」「そこそこに」「適当に」「適度に」「無理なく」など。どの言葉にもはっきりとした基準はありません。その人の価値観や判断に任せた言葉です。
ですから、同じ「ほどほど」も、人によって違うでしょう。言い方を変えると、その人の価値判断に委ねる。
その価値判断の守備範囲は広くても、なんとなくわかりあえるようなものではないでしょうか。
言葉の使い方でも日本語は曖昧であると批判されることがあります。イエスなのかノーなのかわかりづらい表現もあり、国際社会では通用しないと言われることもあります。
言葉はその民族が培ってきた文化です。そこには精神性も反映されるでしょう。
白か黒。善か悪。物事を二極で判断せず、その間の緩衝地帯もあるのではないかといにしえの人は考えたのではないでしょうか。
これをある意味優柔不断と見るのか、おおらかさ、優しさと見るか。
自然に畏敬の念を持ち、自然によって生かされていると考えていたいにしえの人たちは、「白か黒」ではないものが見えていたのだと推察します。
地震、噴火、台風……多くの自然災害に見舞われ、復興を繰り返してきたことで、日本人の忍耐力、受け入れる力は培われたと考えられています。
そこには、白か黒で判断できるようなことも、善か悪で判断できることはなかった。
自然に生かされている。その自然が猛威を振るう。そこで生きてきた人間は、謙虚に平伏すしかなかったのではないでしょうか。
また、日本人は『割れ』や『欠け』の中にも美を見出していました。金継ぎという修復は、『修理』ではありません。
『割れ』や『欠け』に漆と金を施すことで、また美を作り出していく。言ってみれば、『失敗』を許し、『失敗』を美へと進化させることです。
これもいにしえの人たちの精神性から生まれた文化だと思います。
さて、現代の日本はどうでしょうか。白か黒かで分断していく。敵か味方か。自分の正しさを主張するばかりで、相手を真っ向から否定する。
世の中をよく眺めてみると、緩衝地帯がなくなりました。寛容さが失われつつあるのです。
どちらの考えに賛同するのか、そこで線引きをしたがる。これが、『分断』です。「ほどほど」が許されなくなり、「なんとなく」に対してエビデンスを求める。
口汚い言葉が公の場で飛び交う。そして論破する達成感が、さらに相手を倒すことに拍車をかける。
日本はこれからどうなっていくのか。言葉は文化であり、精神性の表れです。日本は、今、岐路に立たされていると感じています。
「ほどほど」というゆとりを持った気持ちは、人と人を結び、自分を許し、諌めることにつながっているのではないでしょうか。
白と黒の間にあるグラデーションに、大切な「何か」があるように思います。
※記事中の写真はすべてイメージ
作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」