アフガン医師襲撃 現地の航空会社が表した『追悼の意』に世界が涙
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凶弾に倒れた中村哲医師に、旭日小綬章の授与が決定 「存命なら…」「惜しい人を亡くした」アフガニスタンで襲撃を受け命を落とした、中村医師。旭日小綬章と内閣総理大臣感謝状の授与が発表されました。

中村医師を、来日中のバンドが追悼 「あなたの『誇り』までは奪えない」日本時間2019年12月8日、アフガニスタンで武装勢力の襲撃を受け亡くなった日本人医師の中村哲さんの遺体が、日本に到着しました。 非政府組織『ペシャワール会』の現地代表として、長年にわたりアフガニスタン現地の支援活動に尽...
- 出典
- flykamair
現地時間2019年12月4日、日本人医師の中村哲さんがアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで武装勢力に銃撃され、亡くなりました。
長年にわたり、現地で農業支援や貧困層への医療支援も行っていた中村さん。その功績が認められ、2018年にはアフガニスタン政府から勲章を授与されています。
また、アフガニスタンの航空会社『カーム航空(Kam Air)』は、中村さんの功績をしのび、航空機の一部に中村さんの肖像を描きました。
航空機の写真は、カーム空港のFacebookで公開されています。
写真と共に、そう中村さんへの感謝のメッセージもつづったカーム航空。
それほど中村さんがアフガニスタン現地に与えた影響は大きく、そして、その功績がいかに偉大なものだったかが分かります。
カーム航空が表した追悼の意は、アフガニスタン国内外で反響を呼び、改めて中村さんの死をおしむコメントが寄せられています。
・私たちアフガニスタン人は、中村先生のことを忘れません。
・カーム航空、中村先生の絵を描いてくれてありがとう。自分も同じ気持ちです。
・カーム航空のこの行動のおかげで、日本人も中村先生がいかにアフガニスタンで慕われていたかが分かる。
中村さんは、アフガニスタンの国境に接するパキスタンで、1984年にハンセン病患者らへの医療活動を始めました。
難民らの診療を続けるかたわら、1991年にはアフガニスタンに診療所を開設。
2000年にアフガニスタン現地で大規模な干ばつが発生した際、感染症による多くの犠牲者を目の当たりにしたことで、中村さんは、井戸を掘る事業に携わるようになったといいます。
また、中村さんの支援活動は、現地の雇用も生み出しました。中村さんが始めた用水路掘削は、今でも200〜300人が従事しているといいます。
長年、アフガニスタンの人たちのために尽力してきた中村さん。その志は、今後も受け継がれていくことでしょう。
そしていつの日か、中村さんが夢に描いた平和なアフガニスタンが戻ってくるはずです。
中村哲さんのご冥福をお祈りいたします。
[文・構成/grape編集部]