アフガン医師襲撃 現地の航空会社が表した『追悼の意』に世界が涙
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今、もっとも狙われやすいのは… 新しい犯罪傾向にゾッとする残念なことに、空き巣や強盗などの事件はなくならず、連日のようにニュースをにぎわせています。玄関前に監視カメラを設置するなど、防犯対策をしている人もいるでしょう。しかし、近年では犯行の手口や傾向に変化が起こっており、従来の対策だけでは不十分な可能性があります。

リンゴの形をしたキーホルダー 実はこれ…「もっと輪を広げたい」「素敵な活動」漫画家の、ずくなし黒岩(@kurokuroyuyuyu)さんがXに写真を公開。ねぷた絵を「なんとか残せないか、いろいろな人にこの美しさを伝えられないか」と、頭をひねり始めたのがきっかけで、2023年の秋頃からある活動を始めたといいます。活動の一環として完成させた作品とは…。
- 出典
- flykamair
現地時間2019年12月4日、日本人医師の中村哲さんがアフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで武装勢力に銃撃され、亡くなりました。
長年にわたり、現地で農業支援や貧困層への医療支援も行っていた中村さん。その功績が認められ、2018年にはアフガニスタン政府から勲章を授与されています。
また、アフガニスタンの航空会社『カーム航空(Kam Air)』は、中村さんの功績をしのび、航空機の一部に中村さんの肖像を描きました。
航空機の写真は、カーム空港のFacebookで公開されています。
写真と共に、そう中村さんへの感謝のメッセージもつづったカーム航空。
それほど中村さんがアフガニスタン現地に与えた影響は大きく、そして、その功績がいかに偉大なものだったかが分かります。
カーム航空が表した追悼の意は、アフガニスタン国内外で反響を呼び、改めて中村さんの死をおしむコメントが寄せられています。
・私たちアフガニスタン人は、中村先生のことを忘れません。
・カーム航空、中村先生の絵を描いてくれてありがとう。自分も同じ気持ちです。
・カーム航空のこの行動のおかげで、日本人も中村先生がいかにアフガニスタンで慕われていたかが分かる。
中村さんは、アフガニスタンの国境に接するパキスタンで、1984年にハンセン病患者らへの医療活動を始めました。
難民らの診療を続けるかたわら、1991年にはアフガニスタンに診療所を開設。
2000年にアフガニスタン現地で大規模な干ばつが発生した際、感染症による多くの犠牲者を目の当たりにしたことで、中村さんは、井戸を掘る事業に携わるようになったといいます。
また、中村さんの支援活動は、現地の雇用も生み出しました。中村さんが始めた用水路掘削は、今でも200〜300人が従事しているといいます。
長年、アフガニスタンの人たちのために尽力してきた中村さん。その志は、今後も受け継がれていくことでしょう。
そしていつの日か、中村さんが夢に描いた平和なアフガニスタンが戻ってくるはずです。
中村哲さんのご冥福をお祈りいたします。
[文・構成/grape編集部]