転がったオレンジを足で止めない日本人 丁寧に向き合うということの大切さ
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
「丁寧にする」という美しいあり方
あるテレビ番組で、「両手にいっぱいオレンジを抱えた人がオレンジを道で落としてしまった、さてまわりにいた人たちはどうするか?」という各国での実験を紹介していました。
欧米の国では、ほとんどの人たちが拾ってくれます。その一方で、まったく拾ってくれない国の人たちも。慌てて拾い集めている人を横目に通り過ぎていきます。または拾って持っていってしまうとか…。日本では、その場にいた全員が拾いました。
その光景ですばらしかったのは、日本人は転がっていくオレンジを足で止めたりしない、みんなかがんで転がるオレンジを手で止めて拾っていたことです。拾い方が丁寧なのです。
そこに日本人の心が現れているようで、一緒に番組を観ていた娘は日本に生まれてよかった、と思ったと言います。
なぜ日本人は転がっていくオレンジを足で止めたりしないのか。日本語には「足蹴にする」という言葉があります。「足で蹴ること」という意味の他に「ひどいことをする」「ぞんざいに扱う」という意味があります。
また、「蹴る」という行為には、陰湿さを感じます。人を「蹴る」とは、その人の尊厳を軽んじる行為のように思います。
もうひとつの理由として、『賜物』という意識があります。『古事記』の中で、天照大御神が孫のニニギノミコトに稲穂を授け、「この稲穂で豊葦原の国(日本)を豊かにしなさい」と神勅されます。
いにしえの人々は、お米を神様からの賜物であると考え大切にしてきました。その稲作文化は現代にも続いています。四季のある、比較的穏やかな気候風土の日本ですが、一方で自然災害も多くあり、いにしえの人々は災害による破壊と復興を繰り返しながら稲作を続けてきたのです。
そのような事情からも、常に食べ物に感謝するという精神性を大切にし、日本人は生きてきました。「いただきます」「ごちそうさまでした」という言葉に、その感謝の精神性が宿っているのです。
転がったオレンジを足で止めない、手で拾い集める…そこには、食べるもの、『賜物』を「足蹴にしない」、ぞんざいに扱わない、という無意識が働いているように思うのです。
何事にも丁寧に向き合うということはとても大切なことです。モノに対してもそうですが、人とのおつきあいに於いても丁寧にするというのは大切です。
存在するすべて、私たちも神様の創造物ですから、すべてを丁寧に扱うということが、則ち感謝を行動化していることなのです。
※記事中の写真はすべてイメージ
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作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」