「電車で泣いた」「本当にありがとう」 羽生結弦の『言葉』に感謝の声 By - grape編集部 公開:2021-03-11 更新:2021-03-11 フィギュアスケート東日本大震災羽生結弦 Share Tweet LINE コメント 2021年3月11日で、東日本大震災発生から10年が経ちます。 この地震に見舞われ被災をした一人、フィギュアスケーターの羽生結弦選手。 同日サンケイスポーツは、羽生選手が被災した人々へ向けてつづった『メッセージ』を公開しました。 羽生結弦「でも、やっぱりいわせてください」 震災から10年を経てもなお、故郷へ戻ることができない人や行方が分からない人も多くいます。 仙台市の自宅が全壊し、自身も避難生活を経験したという羽生選手。 さまざまな心の傷を負いながら、日々生きる人たちへこのようなメッセージを贈っています。 最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。 そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。 こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。 数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。 (中略) 本当に、10年間、お疲れ様でした。 10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。 まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。 まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。 簡単には言えない言葉だとわかっています。 言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。 でも、やっぱり言わせてください。 僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。 頑張ってください あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。 本当に、ありがとうございます。 僕も、頑張ります サンケイスポーツ ーより引用 羽生選手は、復興に向けて懸命に生きてきた人々へ、簡単にはいえないことを理解しつつも、「頑張ってください。僕も、頑張ります」という言葉を改めて贈ったのです。 震災だけではなく、世界という舞台でさまざまなプレッシャーや厳しい練習に耐えてきた羽生選手。 誰よりも「頑張れ」の持つ力を知っている、羽生選手だからこそいえる言葉に、ネット上ではさまざまな声が上がっています。 ・電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。まだまだ復興の途中。一歩ずつですね。 ・あの時から「頑張れ」って言葉が嫌いでした。でも、羽生くんの「頑張れ」は何か違うものを感じますね。ありがとう。 ・羽生さんの頑張る姿に、どれだけの人が励まされたことか…。失ったものは元には戻らないけど、少しずつ前へ進んでいきたいと思えました。 10年が経過してもなお、被災した人々は、あの時の傷跡と向き合いながら生きています。 私たちがやるべきことは、震災の経験を風化させることなく、次の世代へ正しくつなげていくことだといえるでしょう。 次のページ投稿全文はこちら 1 2 出典 サンケイスポーツ Share Tweet LINE コメント
2021年3月11日で、東日本大震災発生から10年が経ちます。
この地震に見舞われ被災をした一人、フィギュアスケーターの羽生結弦選手。
同日サンケイスポーツは、羽生選手が被災した人々へ向けてつづった『メッセージ』を公開しました。
羽生結弦「でも、やっぱりいわせてください」
震災から10年を経てもなお、故郷へ戻ることができない人や行方が分からない人も多くいます。
仙台市の自宅が全壊し、自身も避難生活を経験したという羽生選手。
さまざまな心の傷を負いながら、日々生きる人たちへこのようなメッセージを贈っています。
羽生選手は、復興に向けて懸命に生きてきた人々へ、簡単にはいえないことを理解しつつも、「頑張ってください。僕も、頑張ります」という言葉を改めて贈ったのです。
震災だけではなく、世界という舞台でさまざまなプレッシャーや厳しい練習に耐えてきた羽生選手。
誰よりも「頑張れ」の持つ力を知っている、羽生選手だからこそいえる言葉に、ネット上ではさまざまな声が上がっています。
・電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。まだまだ復興の途中。一歩ずつですね。
・あの時から「頑張れ」って言葉が嫌いでした。でも、羽生くんの「頑張れ」は何か違うものを感じますね。ありがとう。
・羽生さんの頑張る姿に、どれだけの人が励まされたことか…。失ったものは元には戻らないけど、少しずつ前へ進んでいきたいと思えました。
10年が経過してもなお、被災した人々は、あの時の傷跡と向き合いながら生きています。
私たちがやるべきことは、震災の経験を風化させることなく、次の世代へ正しくつなげていくことだといえるでしょう。