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【芸歴65年】桂歌丸師匠の名言集 すべての言葉が胸に染みわたる【13選】

By - grape編集部  公開:  更新:

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戦時中の苦しい時代にラジオで落語と出会い、15歳の時に落語家になることを決意。一度は破門されるも落語界へ復帰し、今や文部科学大臣表彰されるほどになった桂歌丸師匠。

1966年落語番組『笑点』のメンバーとなり、2006年には司会として長年活躍していました。

2016年時点で79歳の歌丸師匠ですが、その芸歴はなんと65年!人生のほとんどを落語に費やしてきたのです。

自らの言葉で人々を楽しませてきた、歌丸師匠の名言をご紹介します。

芸歴65年 桂歌丸さん名言集

人生について

修業は一生涯に及びます。ですから、辛抱もまた一生涯ということです。

人を泣かせることと人を怒らせること、これはすごく簡単ですよ。人を笑わせること、これはいっちばん難しいや。

どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。
人の話を理解しようと努めれば、自分にない人の性質や発言の真意を想像するでしょう。ひいては聞き上手が話し上手になるんです。

その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。
ことによると、途中で土砂崩れにあうかもしれません。でも、わたしにはこの道しかないんです。

ニ十歳を過ぎた人間にモノを教えることは何もない。ニ十歳を過ぎた人間は大人だ。ニ十歳を過ぎたら自分で気づくよりほかない。

褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。

若い時に苦労をしろ。何年か先に振り替えった時、その苦労を笑い話にできるように努力するんだ。

ある種、いい加減にやることは必要。いい加減は「良い加減」ですからね。

落語について

ブームっていうのは必ず落ちる時がきますからね。ブームの時に責任を持たなきゃいけないのは、我々噺家です。
上がっていくときは簡単ですが、落ちかけた時いかに長く水平に保ち続けられるか。落語を残すのも噺家の責任、落語のお客様を残すのも噺家の責任なんです。

薄情な人間には薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。

とにかく陽気な噺でお客さんを笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると、不思議と受けるんですね。

いろんな人に言われます。70を過ぎてまで、どうして苦労して新しい噺を覚えるのかって。
そりゃあ覚えも悪くなっていくし、挑戦し続けるのはしんどい。でも、最期に目をつむった時に楽な気持ちでありたいんです。「ああ、あの噺もできたのに」なんて後悔しても遅いでしょ。

私たち落語家は、噺でお客さんに楽しんでもらう商売です。
肝心なのは、お客さんの頭の中に情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて届けたい。


2016年5月22日放送の笑点をもって、同番組の5代目司会を卒業した歌丸師匠。これからについて聞かれると、笑顔でこうコメントしました。

まだまだ覚えたい話もあるし、落語を引退する気はない。
80歳になったらもっと勉強を始めようと思う。笑点のメンバーが上納金をくれるみたいだしね(笑)

65年間落語を学んでいても、まだまだ精進する心意気を持っているだなんて素晴らしすぎます!

ちなみに、健康の秘訣は「毎日梅干を10個食べること」だそうです。これからも、その素敵な言葉で多くの人に笑顔を与えてくれることでしょう。

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出典
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