横浜を愛し、横浜に愛された男 『ハマの番長』三浦大輔の名言
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今、もっとも狙われやすいのは… 新しい犯罪傾向にゾッとする残念なことに、空き巣や強盗などの事件はなくならず、連日のようにニュースをにぎわせています。玄関前に監視カメラを設置するなど、防犯対策をしている人もいるでしょう。しかし、近年では犯行の手口や傾向に変化が起こっており、従来の対策だけでは不十分な可能性があります。

リンゴの形をしたキーホルダー 実はこれ…「もっと輪を広げたい」「素敵な活動」漫画家の、ずくなし黒岩(@kurokuroyuyuyu)さんがXに写真を公開。ねぷた絵を「なんとか残せないか、いろいろな人にこの美しさを伝えられないか」と、頭をひねり始めたのがきっかけで、2023年の秋頃からある活動を始めたといいます。活動の一環として完成させた作品とは…。
「これからも三浦大輔はずっと横浜です!ヨロシク!」
2016年限りを持って現役引退を表明した横浜DeNAベイスターズの三浦大輔選手は自身の引退セレモニーを笑顔で締めくくりました。
横浜一筋25年。三浦選手が入団した1992年当時は横浜大洋ホエールズという球団名でした。
そこから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズへと球団名が変更されましたが、この3球団すべてに所属した選手は三浦大輔選手ただ1人です。
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引退試合には多くのファンが球場に集まり、チームメイトも三浦選手の背番号18を付け試合に臨みました。
自分に厳しく他人に優しい「ハマの番長」は、チームメイトとファンどちらからも愛されてきました。
そんな25年間の現役生活を三浦選手の発言と共に振り返ってみたいと思います。
「ハマの番長」三浦大輔の名言集
新しいエースナンバー
「18番を横浜の新しいエースナンバーにします」
1998年、背番号を46番から18番に変更した三浦選手はそう宣言しました。
そして見事に宣言を実行し、18番は横浜DeNAベイスターズの準永久欠番となりました。
サインの転売に対して
「三浦のサインなんて価値ないって言われるくらい書いてやる」
2007年には社会貢献活動に大きく貢献したプロ野球選手に与えられるゴールデン・スピリット賞を受賞しました。三浦投手は、横浜市内の小学校での講演、社会福祉協議会へのシーズンシートの寄付、障害者を自費で球場に招待するなどの活動を率先的に行ってきました。
このセリフは、そんな活動をする中でサインを転売されていたという行為に対して言い放った言葉です。ファンサービス第1がモットーの三浦選手の行動を端的に表したセリフですね。
三浦大輔の原点
「三浦大輔の原点は何かと考えたら、強いチームを倒して勝つこと。強いチームに勝って優勝したい」
2008年FAの時には
「今だから言えることだが、心の中の天秤が、少し阪神側に傾きかけたこともあった。だが、その均衡を打ち破ってくれたのは、やはりファンだった」
2008年にFA宣言をした三浦選手には、阪神タイガースがオファーを出していました。その年のファン感謝デーには多くのファンが「三浦、やめないで!」という声を送っていたのが印象的です。
横浜だったからこそ
「150勝できてうれしいですけど、自分の150勝をみんなに喜んでもらってうれしい。横浜に残ってよかった」
2012年にはプロ通算150勝を達成。その試合のヒーローインタビューでは自身の喜びはもちろん、ファンへの感謝を何度も口にしていました。
当時三浦選手は「普通の球団で投げていれば200勝していてもおかしくない」とも言われるほど評価されている投手であり、それゆえに「三浦は所属する球団を間違えた」などという意見が頻繁に出ていました。
そして同年のオフにスポーツ番組のインタビューで「違う球団にいたらもっと勝てたと思うか」という質問に対して三浦選手は語りました。
「ないです。俺は横浜の三浦大輔だから」
三浦大輔選手 引退会見
三浦大輔投手は成績だけではなく、応援してくれるファンへの対応も1流だったからこそ、ここまでファンに愛されてきました。
今後は兼任していた投手コーチも退任し、球界の外での活動を通じて野球に携わっていく予定だという三浦投手。
いつの日か「ハマの番長」が再び横浜スタジアムに帰ってくることをファンは願っています!