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『欠けたまま』生きている大人 子供と接して気付いたことは…【きしもとたかひろ連載コラム】

By - grape編集部  公開:  更新:

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Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。

連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。

大人になっても、人は完璧になれるわけではありません。『欠けた部分』を抱えながら生きていくには、どうすればいいのでしょうか。

第19回『ずっとどこかが欠けている』

「あ、そこ」

宿題をしている子の横でたまたま計算間違いを見つけて声を掛ける。

「また指摘か」と言わんばかりの顔でこちらを振り返るのを見て、今じゃなかった…と後悔する。ただでさえやりたくない宿題をやっている時に頼んでもいないのに間違いを指摘されては、やる気が削がれるだけでなく単に気分も悪いのだろう。

あからさまに嫌そうな顔をしているけれど、出した手を引っ込めることもできず、「ここ」と、指摘しようとしていた設問とは違うところを指差して「あってるわ」と声をかける。

「なんや、あってるんかい!」と返してきながら、指摘されるかもとこわばっていた顔が少しほぐれたのを見て、僕も安心する。

別の設問を指差して、同じように「あ、ここ」というと、また身構えるのがわかる。「あってる」と伝えると「なんやねん〜」と胸を撫で下ろしている。また別の設問を指差し「あ、ここ」と言ったところで、「もうええわ!なにしに来てん!」としっかりつっこんでくれて、僕はその場を離れる。

良かれと思ってした指摘を喜んでもらったことは、今まで一度たりともないかもしれない。かと言って、指摘しないで放っておいたらその子は間違いに気づかないまま育っていき、後々困ることになるかもしれないという心配もある。

いや、心配というよりかはそう思い込んでいる節がある。子どもが間違えたことは、ひとつでも見逃せば世界が滅亡すると言わんばかりに、いちいち指摘をしてしまう。その小さなシミが広がって真っ黒に染まるんじゃないかと不安になってしまったりする。

考えの根幹から間違えて覚えているわけではなく些末な凡ミスであるなら、やっとかかってきたエンジンをわざわざ鎮める必要なんてない。後で見直せばいいだけの話だよな、と優先順位を整理する。

大人になった僕は今日も間違いばかりだ。買った本を1ページも読まずにトイレのフックに掛けたまま置き忘れるし、鼻うがいを買って帰ったら容器は別売りだったし、ダイエット中なのにパスタを大盛りで食べた。けどまだ今のところ、世界は滅亡していない。

ゲームセンターにある幼児向けの乗り物で、画面に道路が映し出されてハンドルを動かして運転気分を楽しむものがある。

本格的なレーシングゲームというわけではないので、ハンドルを動かしたからといってその方向に車が進むというわけではなく、映像はそのままで画面の端にGOODとかBADの表示が、親指をあげたマークとともに表示されるくらいのものだ。

8歳の友人は、その乗り物よりも少しハイテクな、甲羅を投げて競い合うレーシングゲームがしたいようだったが、4歳の妹が乗りたいとせがむからか、本人の代わりに僕に100円玉を要求してきた。

それぞれ好きなものを一回ずつやるようにと100円玉を2枚手渡すと、迷わず2枚ともその乗り物に投入した。2回乗るのかと思ったが、一回200円するらしい。

乗り物のエンジン音とともに、運転席の前の画面に道路の映像が映し出される。カーブに差し掛かると矢印が表示される。4歳さんはお構いなしに思いのままにハンドルをぐるぐる回しているが、車はちゃんと矢印の方向に進んでいく。撮影された映像がただ流れているだけだから当然だ。

大人から見たら物足りなく感じるそのゲームでも、その子にとっては十分楽しいのだろう、嬉しそうに運転手になりきっている。これで200円もするのか…と一瞬不満を感じていたけれど、この子たちにとってはテクノロジーなど関係なく魅力的なものなのだと思い直す。

僕が払っているのはこの乗り物自体にではなく、この子達の楽しい時間と笑顔になのだと、陳腐なセリフで自分を納得させる。

そのまま楽しい時間で終わるのかと思いきや、急に9歳の友人が画面を手で隠してくるものだから、機嫌よく運転していた4歳さんは「やめてー!」と叫び出す。僕も咄嗟に「邪魔したらんといてや」と口をついて出る。口をついて出てから、またいつもの後悔をする。

8歳の友人が手で隠していたのは、「BAD」の文字と親指を下に向けたマークだった。「こんなん出てくるから」と悲しそうな顔で怒っている。遊びであってもゲームでも、小さなBADがしんどくなることを知ってるのだ。大切な妹がそれを見て傷つくかもしれないと想像したのだ。

「ゲームやし、それくらいで傷つくかな」という言葉が出そうになるのを自制する。

傷つくから、隠したんだよね。きっと、日々の生活の中で「それくらい」のことで傷ついたり自尊心を削られたりする場面があるのだろうと想像できる。

伝わりやすいから僕もよく使っている。うるさくしないでよ、走っちゃだめだよ、叩いちゃだめだよって、言葉で伝えたり時にはジェスチャーで伝えたり、計算間違いを指摘したり。

僕にとっては小さなことを伝えるためのただの記号のつもりでも、その子にとっては、自尊心が小さく傷ついているかもしれないのだ。

「隠してくれてたんか、気づかんかったわごめん」と言い訳のように、自分の後悔を薄めるために、言う。

「自分が情けなくなるねん」と、ばあちゃんが嘆いている。

いつものように買っていった寿司を食べながら、デイサービスの愚痴やじいちゃんとの馴れ初め話なんかをしていると、最近病院で検査をしたという話になった。

今年90歳を迎える祖母は、身の回りのことはまだ自分でできるものの、年相応にできないことが増えたりできることが減ったりしている。物忘れなども例外ではなく、定期的に認知テストのようなものを受けているらしい。

「なんか順番に色々見せられて、しばらくしてから何番目は何でしたか?って聞かれるねん」とテストの内容を教えてくれる。「覚えてるわけないやん」という愚痴に、「うん、そら覚えてるわけないよな」となんとなくオウム返しをする。

「見られてると思うと焦って余計カーッとなるやろ、そしたらもう自分が情けなくなるねん」

うまく言えないけれど、自分でも味わったことがある感情のような気がして、胸がぎゅーっと苦しくなる。試されているような、できていないことを確認されるような、そんな気持ちだろうか。

必要な検査だろうし、テストとなるとどうしても試されるような雰囲気になってしまうのはしようがない。検査をする人もそういった事情は考慮して配慮はしてくれているだろう。

ただ、本人としては、「どれだけできるようになったか」ではなく、「どれだけできないか」を知るテストにしんどさを感じるのは自然なことだろう。「恥ずかしい」でなく、「情けなくなる」という言葉を使っていたことの意味を考える。

自分がどれだけ“できなくなっているか”を突きつけられるのだ。

「今までできていたこと」と比べて、「今はもうできない」と見てしまう。子育てでもそういう場面はある。「これからできるはずのこと」と比べて「まだできない」と見てしまう。そして今のその状態をなにか欠けているように、足りていないように感じてしまう。

「これからできること」に気を取られて足りないと思っていたら、いつの間にか「できていたのにできない」ことが出てくる。おかしいな、ずっとどこかが欠けている。

客観的に今のその人を見るためや、支援をしていくためには「できること」と「できないこと」に目を向ける必要がある。

だけど、本人にとっては「今できること」が全てだ。これから減るかもしれない「できること」も、増えるかもしれない「できないこと」も、その時その時が、その人の「今できること」で、その人の姿だ。

理想の姿はあっていい。叶うなら、それを求めればいい。けれど、今がその理想でなくても、今その姿が足りていないというわけではないのだと思いたい。

「情けないな」なんて、子どもたちに思わせてしまっていないかと省みる。その言葉ではなくとも、そういった感情を与えてしまっているかもしれない場面は思いつく。

その気持ちにちゃんと僕は気づけているんだろうか。

「新しい職場はどうなんや」とばあちゃんに尋ねられたので、正直に「辞めることになって、また新しいことをしているよ」と答えると、「しっかり頑張らな」と励ましてくれる。珍しく厳しめの口調なのは、僕ひとりではなく連れ合いもいたからだろう。

「できることを頑張っていきます」と話していると、「私はもう何も自分でできなくて」と、またばあちゃんが嘆きだす。

買ってきた少し上等な寿司を大袈裟に頬張りながら「お寿司は好きで食べれるやん」と、返すと、「食べることはなあ」と同意しながらも「そのお寿司もそのうち食べれなくなるわ」としぶとく嘆きモードを続けている。

「お寿司食べれなくなったら、どうする?」と尋ねてみると、「そうなったらもうポックリいきたいわ」と縁起でもないことを口走る。いつものやりとりだ。

「お寿司食べれなくなったら、他の好きなもん見つかるんちゃう?」と聞いていると、心底嫌そうな顔で「なんもいらんわ」と返ってきた。演技ではないだろうその言葉に僕は寂しくなる。

それを否定するのは僕のエゴだと思い「ならもう、食べれなくなるまで毎日寿司食おう」とふざけて提案する。「そんなお金どこにあんのん」というテンポのいいツッコミに合わせて、連れ合いが「毎日お寿司を買って来れるくらい仕事頑張るってことですよ」とばあちゃんに声を掛ける。

「そらいいわ」と声をあげて笑っている。「せやな、ポックリいかんと待っててな」と僕も笑う。

できないことの多い僕はずっと何かが欠けたままだ。

欠けているなんて思わないくらい余裕のある大人になりたいなと願いながら、そう思って悩み続けている今もまた、欠けているわけではないのだと言い聞かせている。

余談ですが

何ヶ月か前に、出先で急遽オンラインのミーティングが入ったので、カラオケボックスに駆け込んだ。

僕は自他共に認める音痴なのでカラオケに行くことはほとんどない。人前で歌うと「下手じゃないよ」と気遣われることも苦手な理由だった。

一人だし利用時間が余ったこともあって、懐かしい曲を一曲歌ってみた。青春時代の曲というのは意外と覚えているもので、なんとなくあの頃よりもうまく歌えているような気がした。

気持ちよくなったのでもう一曲歌うことにした。最近の採点機能は高性能だと聞いているし、せっかくだからやってみようかと調子に乗ってセットしたが、すぐに後悔した。まったく音程通りに歌えていない。

画面の上にバーみたいなものが楽譜のように出てきて、例えば音程があっていたら緑で少しずれていたら黄色、外れていたら赤という風にリアルタイムに知らせてくれるんだけど、全く合っていない。音痴ですよと言われているようで、情けなくなって歌い切ることはできなかった。

先日、9歳になった友人が、カラオケに行ってみたいと言うので、あの時の悪夢が蘇ったが、せっかく興味を持ったのだからと付き合うことにした。ただ歌って楽しむのかと思ったら、採点機能を使いたいと言う。

普段から小さい失敗に敏感なのに大丈夫かな?と心配になっていたが、少し音程を外しても気にせずに楽しく歌っていて安心する。僕に苦手意識があるから生まれる感情なだけで、苦手意識がない本人には試されているという感覚はないのかもしれないな、と思ったりする。

下手だからと何度か断ったが、一緒に楽しみたいとマイクを渡されたので渋々歌った。画面に映る音程を表すバーは、案の定めちゃくちゃだ。「ほら、下手でしょう?」と、歌いながら苦い顔をすると、赤や黄や緑でバラバラの音程を見て、「カラフルでかわいい!」と大声で叫んだ。

もし別の人から言われていたら、イジられているように感じて不快になっていたかもしれない。下手じゃないよとは言わない真っ直ぐで下手くそなフォローに笑ってしまった。

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[文・構成/きしもとたかひろ]

きしもとたかひろ

兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。
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