富樫敬真のサッカー人生まとめ シンデレラストーリーに驚く
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今、もっとも狙われやすいのは… 新しい犯罪傾向にゾッとする残念なことに、空き巣や強盗などの事件はなくならず、連日のようにニュースをにぎわせています。玄関前に監視カメラを設置するなど、防犯対策をしている人もいるでしょう。しかし、近年では犯行の手口や傾向に変化が起こっており、従来の対策だけでは不十分な可能性があります。

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5月11日に行われたU-23日本代表とガーナ代表の一戦で、初招集された横浜F・マリノスの富樫敬真(けいまん)選手が得点を決めました。
この富樫選手がここまで歩んできたサッカー人生が、あまりにもドラチック過ぎると、ネット上で話題になっています。
NY生まれ横浜育ちのハーフ
「ケイマン」という名前の読み方からも分かる通り、富樫選手は日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれたハーフ。ニューヨークで生まれ、横浜で育ちました。
名門・横浜F・マリノスのジュニアユースに所属するもユースへの昇格は叶わず、日本大学高等学校を経て、関東学院大学に進学。サッカー部に入ります。
高校、大学と目立った実績を残してこなかった富樫選手に転機が訪れたのは大学4年生の時。
横浜F・マリノスがトレーニングを行う「マリノスタウン」を、関東学院大学のサッカー部も練習場としている縁で、トップチームのトレーニングに参加。そこで監督のエリク・モンバエルツの目に止まります。
そして2015年8月、複数回の練習参加後、特別指定選手として大学に所属しながらJリーグの試合に出場できる権利を手にします。
プロ初シュートが初得点!
無名の大学生がプロ入りするだけでも、驚くべきことですが、富樫選手のシンデレラストーリーはまだまだ続きます。
プロ入り後は周囲のレベルの変化に対応できず、ベンチ外の試合が続きますが、2015年9月のアルビレックス新潟戦で初のベンチ入り。
この試合での出場こそありませんでしたが、翌週に行われたFC東京戦で結果を残します。後半28分に途中出場すると、後半43分にチームを勝利に導く、値千金の決勝ゴールを奪ったのです。
大学卒業後マリノスに入団
関東学院を無事に卒業し、2016年には横浜F・マリノスへ正式に入団。
選手層が厚いクラブなので、常に試合に出場できるわけではありませんが、途中出場でもしっかりと結果を残します。両手をL字にするゴールパフォーマンスも徐々に浸透してきました。
U-23日本代表に初招集
そして、ついに今回のガーナ戦で初めてU-23日本代表に招集されます。
チーム3点目となるゴールを奪い、存在感をアピール。小憎らしいほど落ち着いたループシュートでの得点に加え、L字パフォーマンスも忘れません。
5月21日からフランスで行われるトゥーロン国際大会の遠征メンバーにも名を連ねた富樫選手。
「川崎フロンターレの大久保選手がオーバーエイジ枠として招集されるのではないか」といった報道もあり、リオデジャネイロオリンピックの本大会出場メンバーに選ばれることは簡単ではありませんが、これまでの経緯を見てみると富樫選手なら大丈夫なのではないか、と思わず期待をしていまいます。
「死のグループ」とも呼ばれる厳しいグループリーグを戦うことになったU-23日本代表の救世主になるかもしれませんね。