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座ろうとしたら、ふざけて椅子を引かれた男子高生 その日、人生がガラッと変わった

By - grape編集部  公開:  更新:

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※写真はイメージ

椅子に座ろうとしている人の後ろから、スッと椅子を引く

皆さんも、子どもの頃に目にした経験があるのではないでしょうか。いまも行われている行為です。

座ろうとしていたのに椅子が消えてしまい、慌てる姿見たさでやっているのでしょう。彼らは『ちょっとしたイタズラ』のつもりなのです。

高校生のころ、そんな『イタズラ』によって人生が大きく変わった山田雄也(@yamada_yuya4224)さん。

注意喚起の意を込め、自身のTwitterに体験談を投稿しました。

「いつ、何が起こるか分からない」

2014年7月2日。この日から、俺の人生はガラッと変わった。

3時間目の授業が終わり、友達と早弁をした。食べ終わった後、机の上が少し汚れていたから、隣の子にティッシュをもらうために席を立った。

ティッシュをもらい、椅子に座ろうとした時だった。後ろにいた女の子が、ふざけて俺の椅子を引いた。

不意打ちだったから、俺は受け身を取ることができず、後ろにあった机の角で背中を強打。お尻から突き上げるように床に倒れた瞬間、背中と腰に異常な激痛が走った。

俺は、クラスメイトの子たちに担架で保健室に運んでもらった。強打した背中から順に下半身がしびれ始め、急ぎ救急車で病院に搬送されることになった。

病院でMRI、CT、レントゲンなどの検査をした俺は、2週間ほど入院することになった。検査の結果、医者にこういわれた。

「脊髄(せきずい)が潰れているかもしれない。手術が必要です」

その言葉を聞いた瞬間、涙があふれた。今週は国体の選考会があり、数か月後にはウィンターカップを控えていたからだ。

「手術をしなければ、今後身体に影響が出るかもしれない」

医者にそういわれ、泣く泣く手術することを決意した。国体は辞退し、ウィンターカップの予選は、チームのみんなに託すことになった。

そして、手術の日

強力な全身麻酔を使い、9時間もの手術が行われた。意識が戻った時には、ちゃんと下半身も動いたため、手術は成功したと思われた。

しかし3日後、切り口の中が痛くなり、再検査することに。結果、血栓ができていることが判明し、緊急手術を行うことになった。

再び強力な全身麻酔を使って、5時間手術を受けた。

ICUの中で目が覚めた時、異常な頭痛と吐き気が襲いかかってきた。意識もほとんどなく、本気で死ぬ寸前だった。

その後、1週間意識がなく、病室で寝かされていた。ちゃんと意識が戻った時は、ベッドの周りに家族がいて、なんだか久しぶりに安心できた。

でも、ここからが山場だった

身動きがとれず、寝たきりの生活が2か月続いた。髄液を抜くために極太のブロック注射を背中に5本も刺され、とてつもない痛みが襲ってきた。

やっとベッドから起き上がれるようになったものの、車いす生活が半年続いた。手術後、初めて床に足をつけた時は、下半身がないような、宙に浮いている気分だった。

それから毎日のリハビリが始まった。3か月経って、やっと物を使って歩けるようになり、どんどん調子が良くなってきた。

大学に入学するため、ついに退院

約1年間、俺はリハビリで入院していたけど、大学の入学式があるため退院し、兵庫県の大学に松葉杖で門に足を踏み入れた。

そして約1年間、中途半端だけど大学に通った。でも、本当にこの身体で大学に通うのはつらかった。

バスの中では押し倒されて転倒し、道を歩いていると突然力が抜け、転倒したこともあった。

限界を感じた俺は、ある日親にこういった。

「もっとリハビリして、杖なしでも歩けるようになりたい」

1年間休学することになった俺は、地元で毎日リハビリに励んだ。その結果、下半身の麻痺は治らないものの、杖を使わなくても歩けるようになった。

ようやく、たくさん希望が見えてきた。来年の3月には、また大学に戻るけど、以前よりは心と身体に余裕が生まれると思う。

新しくつかんだ『夢』

将来のことを考えた俺は、車いすバスケをやると決めた。

本当は、小学生のころからの夢だったプロバスケの選手になりたかったけど、今は自分の身体を受け入れて、新しい夢を決めた。俺は、頑張るよ。

俺は、この身体になって、たくさんの経験ができた。

家族のありがたさ。

周囲の人の支え。

障がいを持つ人たちに対する考え方。

心の持ちよう。

本当に、たくさん学ばせてもらえた。

今さら、過去のことをいったって戻れない。それなら、この先の楽しいこととか、チャレンジしたいこととかを作って生きたほうが楽しい。

先輩や友達にいろいろ連れて行ってもらって、話をすることも俺の中では『学び』。

「これからもたくさん経験して、この身体でも何だってできるんやぞ!」ってのを証明したい。

俺の一番でかい目標は

車いすバスケで、『山田雄也』という自分の名前を広めること。

頑張ります。

最後に、この先本当に、何がいつ起こるか分かりません。

でも、もし何かが起きても、1人じゃありません。周りに、温かいハートを持った人がたくさんいます。

以上、俺の2年間の『つらい』『我慢』『経験』『大切さ』『幸せ』の話でした。読んでくれた方、本当にありがとうございます。お互い、頑張りましょう。

この『イタズラ』は危険な行為だと、知ってほしい

現在は、車いすバスケに励む毎日を送っている山田さん。「東京体育館でプレーする」「日本代表を目指す」という夢を抱き、コートの中を駆け回っています。

強い心を持つ彼なら、きっといつか夢を叶えてくれることでしょう。

この『イタズラ』をする人は、軽い気持ちでやっているのかもしれません。しかし、時には相手の人生を大きく変えてしまう可能性もあります。

もし誰かがこの『イタズラ』をしようとしていたら、「これは本当に危ないから、やってはいけない」と諭してあげてください。

取り返しのつかないことになっては、遅いのですから。

※山田雄也さんのTwitter投稿を除き、記事中の写真は全てイメージです。


[文・構成/grape編集部]

出典
@yamada_yuya4224

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