宝田明さん、柳生博さん、山本圭さん 当方にとっては大切なお三方 By - 押阪 忍 公開:2022-07-07 更新:2022-07-07 エッセイ押阪忍 Share Post LINE はてな コメント こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。 ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言(ひとりごと)』にお付き合いください。 宝田明さん、柳生博さん、山本圭さん この春 映画やドラマで人気のスター、宝田明さん、草花や野鳥に詳しい柳生博さん、ご近所で挨拶を交わした山本圭さん、このお三方が、悲しくも次々と亡くなられました。 宝田明さんとは、伊丹十三監督の映画『あげまん』で、宝田さんの弟役で出演。伊丹監督直々(じきじき)の当方へのお電話だっただけに、ビックリしたものです。 宝田さんとのからみで、少しのセリフだけの出演でしたが、東宝の試写室で『あげまん』を観た時は、それはそれは緊張の連続でした。 でも兄弟役は、不思議と馴染んでいたように視えましたので、安心致しました。 柳生博さん。東京にいらした時から面識はありましたが、柳生さんの八ヶ岳の山荘をテレビの取材でお訪ねしたことがあります。山荘でのロケが終り、お土産に山茸を2、3本頂きました。 喜んで東京の拙宅に持ち帰り、植えたのですが残念ながら、枯れてしまいました。土が合わなかったのでしょうか…。 山本圭さん。親しい関係とはいえませんが、お住いがご近所で駅前の商店街で、時折お顔をお見掛けした時に、声をかけ合う間柄でした。 いつもドラマで見せる爽やかな表情、そのままでしたね…。 春は出会いの季節と言いますが、卒業、転勤、引越しなど『別れの季節』とも言います。当方にとっては、この春は、どうやら『別れの季節』の方が強いようです。 宝田明さんは、兄貴としての風格そのままに、柳生博さんは、花や山茸の師匠として、山本圭さんは、気楽に声を掛け合えるご近所さんとして、当方にとっては大切なお三方でした。 改めてお三方のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌 <2022年7月> フリーアナウンサー 押阪 忍 1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。 日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。 ギャル曽根流のポテサラに「今日の夕飯決まった」「その発想はなかった」ギャル曽根さん親子が教える、ポテトサラダレシピに「奥が深い」「その発想はなかった!」の声が上がりました。 39歳の誕生日を迎えた、杏 ケーキよりも、注目を集めたのは…ん?見間違いじゃないよね!?杏さんの誕生日ケーキと一緒に写った『推しアクスタ』とは? Share Post LINE はてな コメント
こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。
宝田明さん、柳生博さん、山本圭さん
この春 映画やドラマで人気のスター、宝田明さん、草花や野鳥に詳しい柳生博さん、ご近所で挨拶を交わした山本圭さん、このお三方が、悲しくも次々と亡くなられました。
宝田明さんとは、伊丹十三監督の映画『あげまん』で、宝田さんの弟役で出演。伊丹監督直々の当方へのお電話だっただけに、ビックリしたものです。
宝田さんとのからみで、少しのセリフだけの出演でしたが、東宝の試写室で『あげまん』を観た時は、それはそれは緊張の連続でした。
でも兄弟役は、不思議と馴染んでいたように視えましたので、安心致しました。
柳生博さん。東京にいらした時から面識はありましたが、柳生さんの八ヶ岳の山荘をテレビの取材でお訪ねしたことがあります。山荘でのロケが終り、お土産に山茸を2、3本頂きました。
喜んで東京の拙宅に持ち帰り、植えたのですが残念ながら、枯れてしまいました。土が合わなかったのでしょうか…。
山本圭さん。親しい関係とはいえませんが、お住いがご近所で駅前の商店街で、時折お顔をお見掛けした時に、声をかけ合う間柄でした。
いつもドラマで見せる爽やかな表情、そのままでしたね…。
春は出会いの季節と言いますが、卒業、転勤、引越しなど『別れの季節』とも言います。当方にとっては、この春は、どうやら『別れの季節』の方が強いようです。
宝田明さんは、兄貴としての風格そのままに、柳生博さんは、花や山茸の師匠として、山本圭さんは、気楽に声を掛け合えるご近所さんとして、当方にとっては大切なお三方でした。
改めてお三方のご冥福を心からお祈り申し上げます。合掌
<2022年7月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2022年現在、アナウンサー生活64年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。