先生「まじめに歌え」 それから歌えなくなった私

By - 吉元 由美  公開:  更新:

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吉元由美の『ひと・もの・こと』

作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さん。先生の日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。

たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…様々な『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。

苦手という憧れ

10代の頃から30年近く、絶対に人前で歌を歌わない、と堅く決めていた。カラオケに行く機会があっても、絶対にマイクを持つことはなかった。私は歌が下手…と長年頑なに思っていた。歌を書く仕事をしていながら、これは本当に情けない。レコーディングのときに、

「ここはこう歌ってみて」

と、さらさらっと歌えたらいいのに…と、スタジオに入るたびに思ったものだ。

それまで歌うことが大好きだった私が歌うことに自信を失ったのは、中学の音楽の実技の試験で「2」をとったことがきっかけだった。男女のパートに分かれての試験、私と組んだI君はウィーン少年合唱団のようなボーイソプラノで、その発声にびっくりして喉が詰まって歌えなくなったのだ。

「吉元、まじめに歌え」

ピアノの伴奏をしながらそう言ったG先生の顔を今でも覚えている。その結果が「2」という成績。この時、「絶対に人前で歌わない」と決めたのだ。

ずいぶん昔の話の言い訳のようだが、「トラウマ」というのはそういうものだと思う。ある出来事がきっかけでついた傷が、その後の人生を不自由にする。それは、その人が弱いということでなく、誰にでも起こりうること。ただ大切なのは、自覚していて、ちょっと頑張れば乗り越えられる「トラウマ」なら、手放していったほうがいいということ。どんなに傷ついたとしても、そこから自由になるところに人生の醍醐味があると、ずいぶん前に折り返し地点を過ぎつくづく思うのだ。

頑なに歌うことを拒んできたのだが、数年前、本当はすごくすごく歌いたかったことに気づいた。そう、苦手なものほど、実はいちばん乗り越えたいこと。苦手なことほど、やりたいこと、憧れていることなのだ。私は恐ろしいほど絵も下手なのだが、絵が描けたらいいなあと思う。いいなあ、と思うばかりでなく、画家になるわけでもないのだから描いてみようかと思っている。

さて、人前で歌わないと15歳の時に決めた私は、2年前からコーラスのレッスンを始めた。同時に個人レッスンも習っている。歌は私の憧れだったのだ。まさにゼロからのスタート。今の目標は、60歳の誕生パーティーでアリアを歌うこと。レッスンをするたびに、出なかった声が出始め、自分がこれまで聞いたことのなかった自分の声を聞いている。 

ささやかな可能性だが、これから10年、20年でどこまで歌えるようになるか、この身体を使ってどんな表現ができるか。自分に足かせをつけているのは自分自身、その足かせを外すのも自分。苦手を憧れに変えていくチャレンジは、まだまだ続くのだ。


[文・構成/吉元由美]

吉元由美

作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
吉元由美オフィシャルサイト
吉元由美Facebookページ
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