神社にパワーを求める人は、まるで『裸の王様』? 考えたい参拝マナーの意味
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
自分がいる場所をパワースポットに
神社へ参拝に行くと、いつもアンデルセン童話の『はだかの王様』を思い出す光景に遭遇します。本当は王様が裸なのに、家臣も人々も裸(正確には下着姿)だとは言えず、「素晴らしい衣装でございます」と褒め称えます。人間の心理の弱点を突いた物語です。
先日、伊勢神宮を参拝しました。豊受大神が鎮座されています外宮の参道で、大木に手を当ててじっと目を閉じる人々、大木に抱きつく人々、そして神妙な顔をし、石を囲んで焚き火にあたるように手をかざす人々が…。
聖地、パワースポット。私も嫌いではありませんが、聖地、パワースポットを巡る目的が依存的であることについては違うのではないかと思っています。パワーがほしい。パワーをチャージしたい。パワースポットと呼ばれる場所は、そのような依存のエネルギーが集まっています。パワーをチャージする場であるのではなく、実は依存のエネルギーにまみれてしまうのではないか…と。
外宮の御正殿の手前に、注連縄(しめなわ)が張られた3つの石があります。これは通称『三ツ石』と呼ばれている石で、ここはまさに焚き火状態。手をかざすと強力なパワーをいただけ、手が熱くなる、と言われています。大木に手をあて、石に手をあてて何かを感じる。「感じたい」のだと思うのです。「手が熱くなった」と人が言えば、本当は熱くなっていなくても「なんだか熱くなった」気になる。また、そう言ってしまう。このような光景を見ると『はだかの王様』を思い出してしまうのです。
そこにパワーがあると思えば、その人にとってパワーがある。目に見えない神秘的な力があるのだと信じ、それで元気になるのならそれでいいのかもしれません。ただ「(力を)下さいエネルギー」という依存、自分の願い事ばかりをするご利益依存を続けていると創造性が削がれていくのではないでしょうか。
聖地、パワースポットと呼ばれる場所では願望を出すのではなく、むしろ願望を取り去ってただその場を感じることです。頭で考えるのでも、欲を出すのでもなく、ただただその場の空気に包まれ、自分の中の静寂に耳を澄ます。我を祓った時に見えてくる境地が、次なる力になる。それが本当の、パワーです。
ちなみに、伊勢の神宮では自分のことを祈りません。神恩を感謝し、日本が平安であることを祈ります。日本一のパワースポットなどという言葉に踊らされず、しっかりと由来を学んでから参拝すると良いと思います。また、鳥居をくぐるとき、出たときに一礼する、参道の中央を歩かない、といった基本的なマナーを守ること。そのマナーの意味にこそ、参拝するということの真の心があるのです。
外に求めるよりも、自分がいる場所をパワースポットにする。パワーをチャージする時も創造的でありたいですね。
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作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」