なぜ女の子はピンクを着なくちゃいけないの? 「女の子はピンク」からの解放
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吉元由美の『ひと・もの・こと』
作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。
たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。
「女の子はピンク」からの解放
男の子はブルー。女の子はピンク。友人の出産祝いを買いに行った時のこと。女の子なので、無意識のうちにピンクの洋服を探していました。
手触りのいいもこもこのパーカーを見つけたのですが、売り場にはブルーのみ。店員さんにピンクがないか尋ねたところ、ピンクは作っていないとのことでした。
「なぜ女の子はピンクを着なくちゃいけないの? ブルーでもいいじゃない」
一緒にいた娘の言葉にハッとされられました。確かに、赤ちゃんの洋服を選ぶとき、男の子はブルー系、女の子はピンク系を選んでいました。意識のどこかにそういうものだと刷り込まれていたような…。
確かに、品のいいピンクはかわいらしい。でも、男の子赤ちゃんもかわいらしいのですから、ピンクを着てもおかしくないはずです。しかし、男の子がピンクを着ていると「女の子みたい」と言われるでしょう。ジェンダーについて幅広い捉え方が求められているいま、自分の思いこみをチェックしてみる必要がありそうです。
1927年にTIME誌が行なった調査によると、アメリカの主要百貨店ではブルーもピンクも女の子らしい色として販売していたそうです。ピンクが女の子らしい色として定着したのは、1953年にアイゼンハワー大統領の就任直後と言われています。
ファーストレディであるマミー・アイゼンハワーが就任式のときにピンクの洋服を着て登場し、メディアも小売店もピンクを女性らしい色として打ち出し始めた。それは『ヴォーグ』でも取り上げられ、ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ケネディ、そしてファーストレディだった頃のヒラリー・クリントンもピンクを好んで着ていたといいます。
一方、18世紀のフランスでは貴婦人たちの間でピンクが大流行しました。フランスの「男の子の赤ちゃんはキャベツから、女の子の赤ちゃんはバラから産まれる」という諺と結びつき、「ピンクは女の子の色」は18世紀後半にはヨーロッパに広がっていきました。
ピンクには保守的な印象があります。日本人の大好きな「かわいい」。『らしさ』を大切にする日本人には、「ピンク=女の子らしい」には何の違和感もないでしょう。私もその一人。でも、女の子にはピンクという意識の枠は、女の子の可能性に枠をはめているかもしれません。
もっと自由に、本当に好きな色を、本当になりたい自分になるために。色の選び方に限らず、自分の意識の枠に気づき、外していい時代が来ているのではないでしょうか。
赤ちゃんのお祝いは、ブルーのもこもこのパーカーにしました。ジェンダーを超えて『自分』という軸に立つ。新しい時代の息遣いを感じます。まずは自分の中の枠を外すことから。その第一歩となったブルーのパーカーでした。
※記事中の写真はすべてイメージ
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作詞家・吉元由美の連載『ひと・もの・こと』バックナンバー
[文・構成/吉元由美]
吉元由美
作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
⇒ 吉元由美オフィシャルサイト
⇒ 吉元由美Facebookページ
⇒ 単行本「大人の結婚」