梅の匂いで春を待つ 『梅が香』を愛でる気持ちは失いたくない By - 押阪 忍 公開:2021-02-22 更新:2021-02-22 エッセイ押阪忍 Share Post LINE はてな コメント メジロと梅の花 こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。 ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。 山茶花(さざんか)から梅の季節へ 1月2月の冬枯れの季節に、街中に明るく彩(いろどり)を与えてくれたのは 山茶花でした。山茶花は 椿によく似ていますが、花は 椿よりも少し小振りです。 拙宅の山茶花も、花枯れの庭に赤 白が花をつけ、数ヶ月間、元気と潤(うるお)いを与えてくれました。その山茶花には、まだ残花がありますが、季節は早春の花、梅へと移り始めています。 山茶花 梅を見るのを観梅(かんばい)と言いますが、今の時季は、観梅の前の『探梅(たんばい)』の頃でしょうか…。厳しい寒さに堪え、仄(ほの)かな匂いとともに凛と咲く梅の花…。 拙宅にも紅梅 白梅とありますが、開花は白梅の方が早いようですね。梅は 桜と違って大むね大木は少く、顔を上げる程度で咲く木が多いためか、主に庭木に使われているようです。 勿論、水戸の偕楽園や熱海の梅の名所などには、立派な大木もありますが…。 梅のあの馥郁(ふくいく)とした香りは、花枯れの野や町やご家庭の庭に、春の訪れをほんのりと伝えてくれます。 白梅 東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて春な忘れそ。 時の右大臣であった菅原道真が九州の大宰府へ左遷されていた折、都(みやこ)の梅のことを思い詠んだ歌として 余りにも有名です。 『東風吹かば』は、学問の神様 菅原道真ですが、 『梅一輪、一輪ほどのあたたかさ』 は、 著名な俳諧師の服部嵐雪です。 梅の匂いで春を待つ気持ち… 今はコロナ禍で殺伐とした世の中ですが、仄(ほのか)に ほころび咲き匂う『梅が香(か)』を待ち望み愛(め)でる気持ちは、人として決して失いたくないと思っております。 <2021年2月> フリーアナウンサー 押阪 忍 1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2021年現在、アナウンサー生活63年。 日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。 快挙を成し遂げた狩野英孝、帰国便の搭乗券をよく見ると… 「さすがJAL」の声ホノルルマラソンから帰国する狩野英孝さんに、JALが用意したサプライズとは…。 ロケで出会う人を「お母さん」と呼ぶのは気になる ウイカが決めている呼び方とは?タレントがロケで街中の人を呼ぶ時の「お母さん」「お父さん」に違和感…。ファーストサマーウイカさんが実践している呼び方とは。 Share Post LINE はてな コメント
こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独言』にお付き合いください。
山茶花から梅の季節へ
1月2月の冬枯れの季節に、街中に明るく彩を与えてくれたのは 山茶花でした。山茶花は 椿によく似ていますが、花は 椿よりも少し小振りです。
拙宅の山茶花も、花枯れの庭に赤 白が花をつけ、数ヶ月間、元気と潤いを与えてくれました。その山茶花には、まだ残花がありますが、季節は早春の花、梅へと移り始めています。
山茶花
梅を見るのを観梅と言いますが、今の時季は、観梅の前の『探梅』の頃でしょうか…。厳しい寒さに堪え、仄かな匂いとともに凛と咲く梅の花…。
拙宅にも紅梅 白梅とありますが、開花は白梅の方が早いようですね。梅は 桜と違って大むね大木は少く、顔を上げる程度で咲く木が多いためか、主に庭木に使われているようです。
勿論、水戸の偕楽園や熱海の梅の名所などには、立派な大木もありますが…。
梅のあの馥郁とした香りは、花枯れの野や町やご家庭の庭に、春の訪れをほんのりと伝えてくれます。
白梅
東風吹かば にほひおこせよ梅の花、主なしとて春な忘れそ。
時の右大臣であった菅原道真が九州の大宰府へ左遷されていた折、都の梅のことを思い詠んだ歌として 余りにも有名です。
『東風吹かば』は、学問の神様 菅原道真ですが、
『梅一輪、一輪ほどのあたたかさ』 は、
著名な俳諧師の服部嵐雪です。
梅の匂いで春を待つ気持ち… 今はコロナ禍で殺伐とした世の中ですが、仄に ほころび咲き匂う『梅が香』を待ち望み愛でる気持ちは、人として決して失いたくないと思っております。
<2021年2月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。東京オリンピックでは、金メダルの女子バレーボール、東洋の魔女の実況を担当。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典、東京都庁落成式典等の総合司会も行う。2021年現在、アナウンサー生活63年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。