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「3.11」被災地で学んだ『津波』からの避難 「一度高台に上がったら戻るな」

By - grape編集部  公開:  更新:

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大槌町に向かう途中、すれ違う車に挨拶をしながら、山崎さんはこんな話を聞かせてくれました。

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今すれ違った人はね、消防団だったんだよ。津波がくる前に水門を閉めに行って、終わったと同時くらいに津波がきたもんだから、山に逃げて助かったんだ。

だけど、家族に知らせることはできなくて。息子夫婦や孫、母親の家族5人が流されたんだよ。

使命を全うした男性は、「家族に連絡を入れていれば」と後悔することもあったかもしれません。

家族を5人も流され、今も一人仮設住宅に住んでいる男性のことを思うと、胸が締め付けられました。

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しかし、教えていただいた話は、悲しい話だけではありません。

津波が引いた後、追い打ちをかけるように発生した火事は、家を燃やし、山を燃やし一週間もの間続きました。

そんな火事を消してくれたのが、大阪の消防署の方たち。

大阪から100台以上の消防車がきてくれてね。誰も消せなかった山火事とか消してくれたんだよ。
他にも窃盗団がくるから気を付けてって、兵庫県警の人たちが応援に来てくれてね。
あんなに遠くからきてくれるなんて、本当にありがたいし、力強かったよ。

震災後、繋がりや絆といった、人との結びつきをスローガンに掲げてきた日本。現地の人から聞く喜びの声は、人との繋がりがいかに重要だったのかを感じさせました。

津波が見えない怖さ

貴重な話を聞きながら、次に向かった先は大槌町の町役場跡。津波が迫っていることに気づかず、多くの職員が飲まれてしまった場所…。

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町役場の駐車場に避難していた人たちには、建物が影になり津波が間近に迫っていることに気づけなかったそうです。

そのため、建物の上階に避難する前に、津波に飲み込まれた人が多数いました。もっと早く気づくことができたなら、多くの命が助かったのかも…。そう思うとやりきれない気持ちでいっぱいになります。

町役場を襲った津波は、三階部分まで浸かるほどの津波でした。

建物を目の前にしているのに、実感がわかないほど巨大な津波。ただ、壊れた外壁が物語る、津波の凄まじい力を推測することは難しくありません。

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多くの被害を出した大槌町には、現在ほぼ家はなく工事中の更地ばかりです。

沢山の人たちが暮らし、笑いあっていた温かみは、残念ながら私には感じることができませんでした。

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現在(2015年2月)町役場跡は、遺構として残るかどうか、はっきりとは決まっていないそうです。

私のように直接的に被害を受けていない人にとっては、少しでも肌で津波の怖さを知ることができる貴重な建物です。

しかし、津波で家族や知り合いを奪われた人からすれば、正直「見たくもない」という気持ちになるもの。

震災後に大川小学校などを見に行ったという山崎さんも、やはり遺構などを見ると震災を思い出してしまうそうです。

あー、遺構を見るのは辛いっけなぁ。少し行けば山とか高い場所もあったのに…。高台に避難するって意識がなかったんだろうなぁ。

もっとみんなが危機意識をもって、行動することはできなかったのか。今思い出しても後悔の念は消えないようです。

遺構を残すことが正解なのか、間違っているのか、答えを出すのは難しいかもしれません。

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町一つが消えてしまった現実

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