キッチンカーでバーガーを購入! 『具材』に使われていたのが…? By - ヒライアカリ 公開:2025-03-28 更新:2025-03-30 SDGsサメハンバーガー仕事東日本大震災被災地食事食品ロス飲食店魚 Share Post LINE はてな コメント 被災地に『仕事』という日常を 実は、キッチンカーで商品を手渡してくれた『店員』が、代表の髙瀨さん! サメに目を付けたきっかけは、2011年3月11日に発生した、東日本大震災だったそうです。 『SAMEYA』の代表をしている、髙瀨拓海さん 当時、東京都で学生をしていた髙瀨さんは、被災地の様子をテレビで見て、「実感がわかない」と感じたのだとか。 震災発生から1か月が経過すると、被災地にあるお寺の清掃ボランティアに参加。お寺はきれいになったものの、街並みは地震の傷跡が残ったままでした。 そんな現状を目の当たりにし「この街に日常をとり戻すことはできるのか。そのためには何をすればいいのか」と考えた髙瀨さんは、このような答えにたどり着いたといいます。 髙瀨さん 人がここで生きていくために、この街に戻ってくるために必要なのは『仕事』だと思いました。 既存の仕事環境をとり戻して、働くという『日常』が返ってくればと。 そこで「津波の被害が大きかった沿岸部の仕事を知りたい」と考えた髙瀨さんは、東北に移住した大学の先輩に、宮城県気仙沼市で働く漁師を紹介してもらったのです。 気仙沼で出会った漁師の『ひと言』が? 気仙沼市を訪れ、漁師たちと交流し、漁師の仕事を知っていった髙瀨さん。 ある日、漁師から「明日の朝、漁へ一緒に行かないか?」と誘ってもらい、同行したといいます。 髙瀨さん 漁に出てみると、船の上の過酷さが分かりました。そして、普段冗談をいい合っている時の漁師さんたちとはまた違う、海を見る真剣な目付きに命懸けの仕事であることを改めて実感したのです。 気仙沼で食べる魚もおいしいし、漁師ってすごいと心の底から思ったのですが、ふと1つの疑問が。こんなに素晴らしい仕事なのに、その漁師さんの息子さんは漁師ではありません。 漁師さんに理由を聞いてみると「漁師なんかしてても、今の時代食っていけるわけねーべや」という答えが返ってきたのです。 漁師の言葉を聞いて「漁師という仕事を、さらに若者から憧れられる仕事にしたい」と思った髙瀨さんは、漁師の収入を上げることを目標に掲げました。 気仙沼市の漁師にもらった大漁旗 収入アップのために目を付けたのは『サメ』 実はサメは『未利用魚』という、食べられるものの、利用されていない魚の1種。フカヒレ以外の部分は、値が付きにくいのだといいます。 そんなサメの肉を食べてみた髙瀨さんは、おいしさにびっくりしたのだとか。 髙瀨さん 海の仕事はリスクと隣り合わせ。『命懸け』で獲ったサメの大部分が価値の付きにくいものだというのは…なんともいえないですよね。 サメの需要を高め、価値を付けることができれば、漁師さんの収入アップにもつながるかもしれません。 何より、サメはおいしくて栄養価も高いのです。サメの食文化を広めたいという思いが強くなりました。 サメのヒレ以外の部位にも値が付くようになれば、漁師の収入にも影響があるでしょう。何より、サメの体を無駄なく、『食』として活用することができますよね。 そして髙瀨さんは、サメの魅力を伝えるため、キッチンカーを開始したのです! 多くの人に『サメ』を届ける! さまざまな人にサメを届け、反応を見るため、固定の店舗ではなく移動型の『キッチンカー』を始めた、髙瀨さん。 趣味程度で料理はしていたものの、専門的な知識があったわけではなく、メニューの考案に苦労したといいます。 シェフにアドバイスをもらいながら、ソースや調味料、香りを足して、サメの魅力を引き出す料理を試作。改良を重ねて、現在の『サメバーガー』ができ上がったそうです。 さらに、髙瀨さんは、サメの加工品の開発にも力を入れています。 髙瀨さん 試作をするにあたって「2回目も食べたい!」と思ってもらえるかどうかを大切にしています。 肉感を残したまま、サメにぴったりの加工品を作って販売し、多くの人の日常に『サメ』を届けたいですね。 将来的にはサメが当たり前のように食卓に並ぶ。それが目標です。 店前に置かれた『SAMEYA』のロゴ サメ専門キッチンカーに込められていたのは、サメへの思いはもちろん、人と人の交流の中で生まれた、漁師という職業へのリスペクトだったようです。 サバやアジ、さんまといった、食卓で愛されている、さまざまな種類の魚。選択肢の1つに、サメが並ぶ日が来るかもしれません。 まだ、サメの肉を食べたことがないという人は『SAMEYA』に足を運んで、サメ料理を堪能してみてはいかがでしょうか! [文・構成/grape編集部] 1 2 ベビーカーが乗ってきたバス おじいさんの一言に車内の空気が一変したワケオルタナ旧市街(@zen_mond_u)さんは、バスで体験した心温まるエピソードをSNSに投稿。13万件以上もの『いいね』を集めました! 何度見ても笑う… 用を足す姿にじわじわ来ると話題「優勝」「人入ってる?」Xでハッシュタグ『#猫のうんこ顔選手権』が流行。 子猫の写真に笑ってしまいます! Share Post LINE はてな コメント
被災地に『仕事』という日常を
実は、キッチンカーで商品を手渡してくれた『店員』が、代表の髙瀨さん!
サメに目を付けたきっかけは、2011年3月11日に発生した、東日本大震災だったそうです。
『SAMEYA』の代表をしている、髙瀨拓海さん
当時、東京都で学生をしていた髙瀨さんは、被災地の様子をテレビで見て、「実感がわかない」と感じたのだとか。
震災発生から1か月が経過すると、被災地にあるお寺の清掃ボランティアに参加。お寺はきれいになったものの、街並みは地震の傷跡が残ったままでした。
そんな現状を目の当たりにし「この街に日常をとり戻すことはできるのか。そのためには何をすればいいのか」と考えた髙瀨さんは、このような答えにたどり着いたといいます。
人がここで生きていくために、この街に戻ってくるために必要なのは『仕事』だと思いました。
既存の仕事環境をとり戻して、働くという『日常』が返ってくればと。
そこで「津波の被害が大きかった沿岸部の仕事を知りたい」と考えた髙瀨さんは、東北に移住した大学の先輩に、宮城県気仙沼市で働く漁師を紹介してもらったのです。
気仙沼で出会った漁師の『ひと言』が?
気仙沼市を訪れ、漁師たちと交流し、漁師の仕事を知っていった髙瀨さん。
ある日、漁師から「明日の朝、漁へ一緒に行かないか?」と誘ってもらい、同行したといいます。
漁に出てみると、船の上の過酷さが分かりました。そして、普段冗談をいい合っている時の漁師さんたちとはまた違う、海を見る真剣な目付きに命懸けの仕事であることを改めて実感したのです。
気仙沼で食べる魚もおいしいし、漁師ってすごいと心の底から思ったのですが、ふと1つの疑問が。こんなに素晴らしい仕事なのに、その漁師さんの息子さんは漁師ではありません。
漁師さんに理由を聞いてみると「漁師なんかしてても、今の時代食っていけるわけねーべや」という答えが返ってきたのです。
漁師の言葉を聞いて「漁師という仕事を、さらに若者から憧れられる仕事にしたい」と思った髙瀨さんは、漁師の収入を上げることを目標に掲げました。
気仙沼市の漁師にもらった大漁旗
収入アップのために目を付けたのは『サメ』
実はサメは『未利用魚』という、食べられるものの、利用されていない魚の1種。フカヒレ以外の部分は、値が付きにくいのだといいます。
そんなサメの肉を食べてみた髙瀨さんは、おいしさにびっくりしたのだとか。
海の仕事はリスクと隣り合わせ。『命懸け』で獲ったサメの大部分が価値の付きにくいものだというのは…なんともいえないですよね。
サメの需要を高め、価値を付けることができれば、漁師さんの収入アップにもつながるかもしれません。
何より、サメはおいしくて栄養価も高いのです。サメの食文化を広めたいという思いが強くなりました。
サメのヒレ以外の部位にも値が付くようになれば、漁師の収入にも影響があるでしょう。何より、サメの体を無駄なく、『食』として活用することができますよね。
そして髙瀨さんは、サメの魅力を伝えるため、キッチンカーを開始したのです!
多くの人に『サメ』を届ける!
さまざまな人にサメを届け、反応を見るため、固定の店舗ではなく移動型の『キッチンカー』を始めた、髙瀨さん。
趣味程度で料理はしていたものの、専門的な知識があったわけではなく、メニューの考案に苦労したといいます。
シェフにアドバイスをもらいながら、ソースや調味料、香りを足して、サメの魅力を引き出す料理を試作。改良を重ねて、現在の『サメバーガー』ができ上がったそうです。
さらに、髙瀨さんは、サメの加工品の開発にも力を入れています。
試作をするにあたって「2回目も食べたい!」と思ってもらえるかどうかを大切にしています。
肉感を残したまま、サメにぴったりの加工品を作って販売し、多くの人の日常に『サメ』を届けたいですね。
将来的にはサメが当たり前のように食卓に並ぶ。それが目標です。
店前に置かれた『SAMEYA』のロゴ
サメ専門キッチンカーに込められていたのは、サメへの思いはもちろん、人と人の交流の中で生まれた、漁師という職業へのリスペクトだったようです。
サバやアジ、さんまといった、食卓で愛されている、さまざまな種類の魚。選択肢の1つに、サメが並ぶ日が来るかもしれません。
まだ、サメの肉を食べたことがないという人は『SAMEYA』に足を運んで、サメ料理を堪能してみてはいかがでしょうか!
[文・構成/grape編集部]