藍ちゃんの引き際の美学と人生スタイルとは… By - grape編集部 公開:2017-06-09 更新:2017-06-19 ゴルフ宮里藍 Share Post LINE はてな コメント トップ・プレーヤーの突然の引退劇…。日本人初の高校生プロであり、日本人初の世界ランク1位にも輝いた女子プロゴルファー、宮里藍(31)が、今季限りで現役引退する。5月29日、都内のホテルで引退会見をした藍ちゃんは、その生きざまのごとく爽やかだった。 「モチベーションの維持が難しくなった。自分で限界を感じた上での決断でした」 4年前の2012年に予兆を感じていたという。2003年、アマチュアでプロの試合に勝ち(ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン)プロに転向、06年から憧れの米ツアーに参戦した。そして09年にエビアンオープンで米ツアー初勝利…。順風満帆だった。しかし、藍ならではの葛藤があった。 「09年から毎年ツアーで勝ち、12年も夏前に2勝した。自分でもプロゴルファーとしてピークを迎えている感覚があった。それなのにメジャータイトルがとれない。どうしたらいいんだろうと立ち止まってしまって。そこから立て直すことが難しくなって、自分自身を見失った」 日々の試合に追われて4年間の日々が流れた。そして昨年夏、リオデジャネイロ五輪中に3週間試合がなく、空白の時間ができた。藍は自ら冷静に向き合っていた。 「いままでやれていた練習やトレーニングができなくなったんです。自分が理想とする姿がそこになかった。もう、戻ってこなかったんです。私の生命線であるパターもイップスになって…」 イップスとはスポーツにおける運動障害。プレッシャーなどによって、集中すべき場面で極度に緊張し、震えや硬直が起こってプレーに悪影響を及ぼす状態である。確かに12年以来、勝利から遠ざかっている。それでも、引退を発表する直前の試合、ブリヂストンレディスオープンでは最終日(5月21日)、64のベストスコアをマークして6位タイ。誰もが「藍ちゃん復活」と思ったものであるが、その心は決まっていた。そんな単純なものではない。 「戦い続けるには、いまの自分には足りないものがある。結果を出すことは難しい。(今年辞めると決めた後の)期間限定だから、あんなプレー(ブリヂストンでの65)ができたと思う」 すでに両親には今年の年頭に引退を告げていた。一切の反対はなかった。父・優さんはいった。 「始まりがあれば、終わりは必ずある。技術的にはまだいけると思う。けど、藍の場合、予選を通って賞金ももらえて、生活ができればいいというプレーヤーではない。藍が求められているのはそこではない。(見ている方に)感動を藍のモチベーションなんです」 輝しい戦績を残した。03年、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンでアマチュアとしてプロのトーナメントで優勝。すぐプロ宣言して初の高校生プロとなる。翌10年の開幕戦、ダイキンオーキッドレディスでプロ初優勝。18歳262日での優勝はいまだ破られていないプロ最年少優勝記録である。その年5勝を挙げ、年間獲得賞金1億円突破。06年からは米ツアーに主戦場を置き、日米通算24勝、05年南アフリカで開催されたワールドカップ女子ゴルフでは北田瑠衣と組んで世界一にもなった。 藍の登場は女子プロゴルフ界をドラスティックに変えた。際だった若さ、愛くるしいルックスに、常に前向きな明るい性格で、いつ何時でもファンに対応する姿。インタビューでは理路整然とした自らの言葉を駆使する。人との接し方はまさに神対応であった。プロフェッショナルなスターとしての人格的要素を完璧に備えた存在の登場に、ファンは歓喜、藍ちゃんフィーバーが巻き起こった。女子プロ界の革命的存在だった。 藍がプロデビューした03年、女子ツアーの試合数は30試合、賞金総額は約18億8000万円。藍ブームに押されるかのように、横峯さくら、諸見里しのぶらの若手の台頭もあって、その後、女子ゴルフ界は右肩上がりで成長した。17年はツアー38試合、賞金総額はなんと37億1500万円と過去最高となった。藍の存在が、ゴルフ界に経済的変革をもたらしたのである。 そんなプロフェッショナルな藍を導いたのは、父・優さんの教えである。 『ゴルファーである前に人格者であれ』 小さなころから感謝の気持ちを忘れずに、生きることを教えられた。藍はそれをこれまでの人生の中で実践したのであった。 そんな人間的資質に加えて、重要なのがゴルフの資質であるが、これは藍自身の座右の銘に伺い知れる。 『意志あるところに道あり』 155センチという小さな体でゴルフの最高峰米ツアーで戦い結果を残してきた。 「常に自分自身と向き合えたことだと思う。小柄なので、(欧米人に比べ)パワーがない。ショットの精度とか小技で勝負した。そこにメンタルトレーニングを加わり、それが土台となって戦えた。必ずしも体格の差がハンデにはならない」 藍は自らの趣味を「自分と向き合うこと」といった。 「いままで武器だったものが、そうでなくなる時期も来る。その時にじゃあ、どうする?と自分と向き合う。追求するというか、自分を追い込むというか、それが結果的に自分を高めていったと思う」 そうういえば…。藍が日本のツアーで戦っていたころ、こんなシーンがあった。トーナメント会場、練習場で最後まで残ってクラブを振っていたのは強かった藍だった。真っ暗になるまで…。どこの会場でもそうだった。当時、横峯さくらもその仲間として練習場にいた。女子プロゴルフ協会の関係者がいった。 「これじゃ、ほかの選手は藍ちゃんやさくらちゃんを超えられないわネ」 人間的だけでなく、人生の進むべき道でも探求心、追求心はほかの追随を許さなかったのが藍である。 藍が土台を築いた女子ゴルフ界は、いまや空前の活況を呈している。藍は「凄いと思う」と目を細めたが、憂いも口にしていた。 「(米国にいて)客観的に見られる分、逆に危機感というか、これが永遠に続くわけではないと思う。若い選手にはプロ意識を持って、支えて下さるかたたちに、感謝の気持ちを忘れないでほしい。みなさんできていると思うけど、年齢を重ねることによって難しくなることも多々ある。その軸を忘れないでほしい」 活況のいまだからこそ、初心を忘れずに…という警鐘でもあろう。 最近、プロ入りすると選手は、すぐさまスポンサーとの高額な契約金を手にする。実績もないのにスター気取り。ギャラリーへのサインを渋ったり、プレーでも自らがミスしたのに、物音をたてたギャラリーを露骨ににらみつけ、舌打ちする。ちょっとした勘違いシーンもあった。しかも練習場では早々と選手がいなくなっていた。これでは将来が危ぶまれる。 米を主戦とする藍だが、毎年日本に参戦している。何か変わりつつある空気感に危機を感じたのかもしれない。バブル景気に沸く日本ツアーの女子選手たちには、よく聞いてほしい言葉であった。 とはいえ、そんな将来を担う若い選手へのエールは熱いものがあった。 「自分のスタイルを確立してほしい。他人と比べることなく、自分と向き合えば、必ず道は開けるし、どこにいても戦える」 これこそ世界で戦ってきた藍スタイルである。これって、ゴルフ界だけではなく、一般社会でも通用する言葉である。頂点に立った人から学ぶことは多い。 [文・構成 産経新聞社 清水満] 元プロ野球選手 清原和博容疑者、逮捕される ファンは動揺…2016年2月2日、元プロ野球選手の清原和博容疑者が、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました 「嬉しい報告があります!」長友佑都が妻・愛梨の妊娠を発表2017年9月2日、長友佑都さんがブログを更新。妻・愛梨さんが第一子を妊娠したことを発表しました。 Share Post LINE はてな コメント
トップ・プレーヤーの突然の引退劇…。日本人初の高校生プロであり、日本人初の世界ランク1位にも輝いた女子プロゴルファー、宮里藍(31)が、今季限りで現役引退する。5月29日、都内のホテルで引退会見をした藍ちゃんは、その生きざまのごとく爽やかだった。
「モチベーションの維持が難しくなった。自分で限界を感じた上での決断でした」
4年前の2012年に予兆を感じていたという。2003年、アマチュアでプロの試合に勝ち(ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン)プロに転向、06年から憧れの米ツアーに参戦した。そして09年にエビアンオープンで米ツアー初勝利…。順風満帆だった。しかし、藍ならではの葛藤があった。
「09年から毎年ツアーで勝ち、12年も夏前に2勝した。自分でもプロゴルファーとしてピークを迎えている感覚があった。それなのにメジャータイトルがとれない。どうしたらいいんだろうと立ち止まってしまって。そこから立て直すことが難しくなって、自分自身を見失った」
日々の試合に追われて4年間の日々が流れた。そして昨年夏、リオデジャネイロ五輪中に3週間試合がなく、空白の時間ができた。藍は自ら冷静に向き合っていた。
「いままでやれていた練習やトレーニングができなくなったんです。自分が理想とする姿がそこになかった。もう、戻ってこなかったんです。私の生命線であるパターもイップスになって…」
イップスとはスポーツにおける運動障害。プレッシャーなどによって、集中すべき場面で極度に緊張し、震えや硬直が起こってプレーに悪影響を及ぼす状態である。確かに12年以来、勝利から遠ざかっている。それでも、引退を発表する直前の試合、ブリヂストンレディスオープンでは最終日(5月21日)、64のベストスコアをマークして6位タイ。誰もが「藍ちゃん復活」と思ったものであるが、その心は決まっていた。そんな単純なものではない。
「戦い続けるには、いまの自分には足りないものがある。結果を出すことは難しい。(今年辞めると決めた後の)期間限定だから、あんなプレー(ブリヂストンでの65)ができたと思う」
すでに両親には今年の年頭に引退を告げていた。一切の反対はなかった。父・優さんはいった。
「始まりがあれば、終わりは必ずある。技術的にはまだいけると思う。けど、藍の場合、予選を通って賞金ももらえて、生活ができればいいというプレーヤーではない。藍が求められているのはそこではない。(見ている方に)感動を藍のモチベーションなんです」
輝しい戦績を残した。03年、ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンでアマチュアとしてプロのトーナメントで優勝。すぐプロ宣言して初の高校生プロとなる。翌10年の開幕戦、ダイキンオーキッドレディスでプロ初優勝。18歳262日での優勝はいまだ破られていないプロ最年少優勝記録である。その年5勝を挙げ、年間獲得賞金1億円突破。06年からは米ツアーに主戦場を置き、日米通算24勝、05年南アフリカで開催されたワールドカップ女子ゴルフでは北田瑠衣と組んで世界一にもなった。
藍の登場は女子プロゴルフ界をドラスティックに変えた。際だった若さ、愛くるしいルックスに、常に前向きな明るい性格で、いつ何時でもファンに対応する姿。インタビューでは理路整然とした自らの言葉を駆使する。人との接し方はまさに神対応であった。プロフェッショナルなスターとしての人格的要素を完璧に備えた存在の登場に、ファンは歓喜、藍ちゃんフィーバーが巻き起こった。女子プロ界の革命的存在だった。
藍がプロデビューした03年、女子ツアーの試合数は30試合、賞金総額は約18億8000万円。藍ブームに押されるかのように、横峯さくら、諸見里しのぶらの若手の台頭もあって、その後、女子ゴルフ界は右肩上がりで成長した。17年はツアー38試合、賞金総額はなんと37億1500万円と過去最高となった。藍の存在が、ゴルフ界に経済的変革をもたらしたのである。
そんなプロフェッショナルな藍を導いたのは、父・優さんの教えである。
『ゴルファーである前に人格者であれ』
小さなころから感謝の気持ちを忘れずに、生きることを教えられた。藍はそれをこれまでの人生の中で実践したのであった。
そんな人間的資質に加えて、重要なのがゴルフの資質であるが、これは藍自身の座右の銘に伺い知れる。
『意志あるところに道あり』
155センチという小さな体でゴルフの最高峰米ツアーで戦い結果を残してきた。
「常に自分自身と向き合えたことだと思う。小柄なので、(欧米人に比べ)パワーがない。ショットの精度とか小技で勝負した。そこにメンタルトレーニングを加わり、それが土台となって戦えた。必ずしも体格の差がハンデにはならない」
藍は自らの趣味を「自分と向き合うこと」といった。
「いままで武器だったものが、そうでなくなる時期も来る。その時にじゃあ、どうする?と自分と向き合う。追求するというか、自分を追い込むというか、それが結果的に自分を高めていったと思う」
そうういえば…。藍が日本のツアーで戦っていたころ、こんなシーンがあった。トーナメント会場、練習場で最後まで残ってクラブを振っていたのは強かった藍だった。真っ暗になるまで…。どこの会場でもそうだった。当時、横峯さくらもその仲間として練習場にいた。女子プロゴルフ協会の関係者がいった。
「これじゃ、ほかの選手は藍ちゃんやさくらちゃんを超えられないわネ」
人間的だけでなく、人生の進むべき道でも探求心、追求心はほかの追随を許さなかったのが藍である。
藍が土台を築いた女子ゴルフ界は、いまや空前の活況を呈している。藍は「凄いと思う」と目を細めたが、憂いも口にしていた。
「(米国にいて)客観的に見られる分、逆に危機感というか、これが永遠に続くわけではないと思う。若い選手にはプロ意識を持って、支えて下さるかたたちに、感謝の気持ちを忘れないでほしい。みなさんできていると思うけど、年齢を重ねることによって難しくなることも多々ある。その軸を忘れないでほしい」
活況のいまだからこそ、初心を忘れずに…という警鐘でもあろう。
最近、プロ入りすると選手は、すぐさまスポンサーとの高額な契約金を手にする。実績もないのにスター気取り。ギャラリーへのサインを渋ったり、プレーでも自らがミスしたのに、物音をたてたギャラリーを露骨ににらみつけ、舌打ちする。ちょっとした勘違いシーンもあった。しかも練習場では早々と選手がいなくなっていた。これでは将来が危ぶまれる。
米を主戦とする藍だが、毎年日本に参戦している。何か変わりつつある空気感に危機を感じたのかもしれない。バブル景気に沸く日本ツアーの女子選手たちには、よく聞いてほしい言葉であった。
とはいえ、そんな将来を担う若い選手へのエールは熱いものがあった。
「自分のスタイルを確立してほしい。他人と比べることなく、自分と向き合えば、必ず道は開けるし、どこにいても戦える」
これこそ世界で戦ってきた藍スタイルである。これって、ゴルフ界だけではなく、一般社会でも通用する言葉である。頂点に立った人から学ぶことは多い。
[文・構成 産経新聞社 清水満]