grape [グレイプ]

「平成元年ってどんな年だったっけ?」平成最初の甲子園優勝校や、『あの2人』の婚約も!

By - grape編集部  公開:  更新:

Share Tweet LINE コメント

2019年4月30日に生前退位される天皇陛下。翌5月1日に皇太子さまが即位され、「令和(れいわ)」という次の元号がスタートします。

30年と4か月弱続いた「平成(へいせい)」。日本では、さまざまな出来事がありました。

たとえば、皇太子さまと現在の皇太子妃である小和田雅子さんとの結婚の儀を取り行われたのは、平成5(1993)年のこと。愛子さまが誕生されたのは平成13(2001)年です。

また、平成は日本人アスリートが活躍する時代でもありました。プロ野球の野茂英雄投手が、周囲の反対を押し切ってアメリカのメジャーリーグに移籍し、大活躍したのは平成7(1995)年。現在では、当たり前になっているサッカーのワールドカップに、日本代表が初出場したのは平成10(1998)年です。

ほかにも女性の社会進出が顕著な時代で、芸能界はもちろん、政界やビジネスの世界でも活躍する姿が話題になりました。

一方で、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災や平成23(2011)年の東日本大震災など、災害の多い時代だったのも事実。世界的に見ても、平成13(2001)年に起こったアメリカ同時多発テロをはじめ、テロ事件が多かったという悲しい印象もあります。

いろいろな出来事があった平成。その元年である1989年を振り返ると、忘れていたさまざまなことに気付かされます…。

大相撲本場所の初日が史上初めて延期されたほか、あの『おふたり』がご婚約も!

平成元(1989年)年1月

※写真はイメージ

1989年1月7日、昭和天皇が崩御され、現在の天皇陛下が即位されたのは翌1月8日。その日から平成元年が始まりました。

本来であれば、平成元年1月8日に初日を迎える予定だった大相撲初場所。しかし、昭和天皇の崩御を受けて、初日が翌1月9日の月曜日に順延されます。

ちなみに本場所が15日制になって以降、初日が日曜以外に行われたのは初めて。これ以外にも大相撲にとっては時代を象徴する力士が関取としての第一歩を踏み出した年でもあったのですが、それはまたのちほど…。

平成元(1989年)年2月

漫画の神様と呼ばれ、数々の名作を世に送り出してきた手塚治虫さんが亡くなったのは平成元年2月9日

『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』などは、平成が終わろうとしている現在も、多くの人を魅了し続ける名作です。

「仕事場には、未完成の作品や新作のアイディアが残されていた」といわれ、それらの作品の完成を待たずして亡くなった手塚先生の早すぎる死を多くの人が悼みました。

平成元(1989年)年3月

※写真はイメージ

現在では、各駅の特徴の1つとなっている電車発車時のメロディ(通称、発車メロディ)。

実は初めて導入されたのは、平成元年3月11日で、場所はJR東日本の新宿駅渋谷駅でした。

以前から「発車時のベルの音が不快だ」という乗降客の苦情があり、楽器メーカーのヤマハに開発を依頼。人の心を落ち着かせるようなメロディが採用されたといいます。

平成元(1989年)年4月

平成元年4月1日に導入された消費税。当初の税率は3%でしたが、平成9(1997)年に5%、平成26(2014)年に8%になりました。

当時の首相は故・竹下登さんで、タレントのDAIGOさんの祖父。消費税が導入された時、11歳だったDAIGOさんは「超バッシングされた」と、同級生に責められた過去を語っていました。

そういったバッシングを竹下総理も肌で感じていたのでしょう。消費税導入初日に、妻と日本橋・三越を訪れ、ネクタイを購入していました。

3月26日に開幕した第61回選抜高等学校野球大会(通称、センバツ)。4月5日の決勝戦で、延長の末に勝利したのは愛知県代表の東邦高校…平成最初の甲子園で優勝を果たしました。

また、平成最初の甲子園で東邦と決勝を戦ったのは、大阪府代表の上宮高校。種田仁選手や元木大介選手は決勝で敗れたものの、その後プロ野球入りし、スター選手に。

特に元木選手は、平成16年の2005年シーズン終了後に現役を引退し、タレントとしてさまざまなバラエティ番組に出演。2019年シーズンから読売ジャイアンツ(以下、巨人)の一軍内野守備兼打撃コーチに就任したため、新しい時代を野球界に身を置いて迎えることになります。

ちなみに、平成最後の『甲子園』となった第91回選抜高等学校野球大会で優勝したのも、平成最初の甲子園王者である東邦高校。平成の『甲子園』は「東邦に始まり、東邦に終わった」といえるのではないでしょうか。

平成元(1989年)年5月

マサカリ投法というダイナミックな投球フォームで活躍した、プロ野球の村田兆治投手が平成元年5月13日に200勝を達成しました。

翌1990年シーズン終了後に引退した村田投手の通算成績は215勝。引退後も、衰えを知らぬ投球で、さまざまなイベントに出演するなど活躍しています。

ちなみに、村田さんが持つ現在も破られていないプロ野球記録は暴投数。通算148暴投は断トツの1位で、ダイナミックな村田さんらしい記録です。

平成元(1989年)年6月

昭和を代表する歌手、美空ひばりさんがこの世を去ったのは平成元年6月24日、52歳でした。

戦後の日本を、歌で元気づけたといわれるひばりさんは、幼少期から歌手として活躍。国民的な人気を獲得後も精力的に歌い続け、死の前年(1988年4月)にもオープンしたばかりの東京ドームでコンサートを行いました。

同1月11日にリリースされた『川の流れのように』は、現在も歌い継がれる名曲で、ひばりさんの遺作でもあります。また、同7月には女性として初の国民栄誉賞を受賞しました。

ちなみに『川の流れのように』の作詞を担当したのは、のちにAKBグループをプロデュースするなど、さまざまな分野で活躍している秋元康さん。当時と変わらず、第一線で活躍する姿を見て、ひばりさんも喜んでいる…かもしれません。

出典
産経ニュース

Share Tweet LINE コメント

page
top