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一代に一度だけの皇室行事『大嘗宮の儀』 どんな儀式なの?

By - grape編集部  公開:  更新:

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2019年11月14日の夕方~15日未明にかけて、皇居・東御苑で『大嘗祭(だいじょうさい)』の中心的儀式『大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀』が行われました。

天皇陛下即位に伴う一連の行事の中でも重要とされる『大嘗宮の儀』。宮内庁はウェブサイト上で概要を解説しています。

大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式です。

皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式です。

大嘗祭の中心的儀式である「大嘗宮の儀」は、「悠紀殿供饌の儀(ゆきでんきょうせんのぎ)」と「主基殿供饌の儀(すきでんきょうせんのぎ)」から成ります。

今回、悠紀殿供饌の儀は令和元年11月14日の夕方から夜にかけて行われ、主基殿供饌の儀はその翌日の11月15日の暁前に行われます。

宮内庁ウェブサイト『大嘗宮について』 ーより引用

約90m四方の敷地に、高さ約10mの『悠紀殿(ゆきでん)』『主基殿(すきでん)』を中心とした約40の建物が並ぶ『大嘗宮』は、この儀式のためだけに建設されました。

産経ニュースの取材によると、14日の日没後は、鳥居形に組まれた東西南北の『神門』にかがり火がたかれ、そばには矢を背負い弓を持った衛門が並び、厳粛な雰囲気を漂わせていたといいます。

儀式の流れについては次のように報じられています。

午後6時半前、「廻立殿(かいりゅうでん)」で身を清め、白い「御祭服(ごさいふく)」に着替えた陛下が、悠紀殿へと向かう屋根付き廊下にお出ましに。

宮内庁の秋元義孝式部官長の先導で、侍従らが敷く「葉薦(はごも)」の上を静々と進まれる陛下の頭上には、鳳凰(ほうおう)の飾りの付いたかさのような「菅蓋(かんがい)」が差し掛けられていた。

いよいよ陛下が悠紀殿の中へ進まれ、帳が閉じられる。奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられ、低く、長い声が響いた。

白い十二単姿の皇后さまは悠紀殿脇の「帳殿(ちょうでん)」でご拝礼。秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方も拝礼された。

帳の中で一切うかがい知ることのできない「秘事」とされる「供饌(きょうせん)の儀」は、四隅に灯籠の明かりがともる約8メートル四方の「内陣」で行われる。陛下は「采女(うねめ)」と呼ばれる女性らの手伝いを受けながら「神饌(しんせん)」と呼ばれる米や粟などのお供え物を自らとりわけ、拝礼される。

その後、五穀豊穣(ほうじょう)と国家安寧を祈る御告文(おつげぶみ)を読み上げ、自らも食される。

産経ニュース ーより引用

神聖な儀式を510人の参列者が、しんと冷えた空気の中で静かに見守っていたそうです。

ネット上では、『大嘗宮の儀』について「1400年くらい続いているって日本史そのもの」「1代に1度だけってすごい」などのコメントが寄せられました。

東御苑に作られた大嘗祭の舞台である『大嘗宮』は、11月21日(木)から12月8日(日)の18日間、一般にも公開され、その後取り壊される予定です。


[文・構成/grape編集部]

出典
@Sankei_news宮内庁:大嘗宮について

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