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バ美肉同士の純愛を描く『VRおじさんの初恋』 暴力とも子さんが込めた想いとは

By - grape編集部  公開:  更新:

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©暴力とも子|©一迅社

本記事は、2021年6月5日にgrape Japan編集部の外国人記者により掲載されたインタビューの内容を、再編集してお届けするものです。

SF文学で定番となっているバーチャルリアリティ(VR)技術は、『アクセル・ワールド』や『ソードアート・オンライン』を始め、漫画やアニメでも人気の高いテーマです。

時代の流れとともに、現実がフィクションに追いつきつつある昨今。市販のVRヘッドセットが登場し、VRChatのようなソーシャルコミュニティもできたことで、多くの人がアバターとして仮想世界を探索することが可能になりました。

仮想世界でいろいろな人と出会い、一緒に時間を過ごし、新しい友人などいろいろな関係の人を作る…そういった時代になった結果、新たなジャンルの作品が生まれています。

©暴力とも子|©一迅社

暴力とも子さんによる漫画『VRおじさんの初恋』の主人公・ナオキは、この物語のタイトルにもなっている『VRおじさん』です。

現実世界では40歳の独身で、毛髪がはげかかっている派遣社員の彼が、女子高生のアバターで仮想現実を楽しむ姿が描かれた本作品。

リアルの生活に幻滅し、人付き合いが苦手になった彼は、「1人になりたい」という理由からVRを利用。マネタイズに失敗し閉鎖寸前の、美しくデザインされたワールドで過ごしていました。

そのワールドで彼が出会ったのは、長身の美少女アバターで、遊び心いっぱいに振る舞うホナミ。無邪気に遊んでいるように見えますが、実はホナミはナオキよりも高齢の『VRおじいさん』です。

現実世界で妻と別居しているものの、社交的なホナミ。孫のからVRの使い方を教わり、ナオキと出会います。

『VRおじさんの初恋』で描かれるのは、VRと現実世界をつなぐ、ほろ苦いラブストーリーです。

©暴力とも子|©一迅社

斬新な題材や感動的なストーリーが人気を博し、Twitterでも話題になった『VRおじさんの初恋』。

grape Japan編集部のアメリカ人ライターBen Kが、作者の暴力とも子さんにお話を伺いました。

※このインタビューは漫画本編のネタバレを含みますのでご注意ください。

『VRおじさんの初恋』暴力とも子さんインタビュー

――この物語は『ロスジェネ(ロストジェネレーション)』という日本特有の経済史が背景になっていますよね。就職難でいえば、90年代のバブル崩壊に比べて2008年のリーマン・ショックはさほど影響を与えなかったのに対し、アメリカでは日本のバブル崩壊と同様に影響が大きかったそうです。

アメリカ人が『VRおじさんの初恋』を読む場合、90年代生まれの読者はナオキの当時の苦労を想像できるものの、その後の人生を襲う社会への諦念は想像で補う必要があるかもしれないと思いました

もしかすると、ナオキよりホナミに感情移入する人が多いという可能性もありますよね。あくまでも可能性ですが、そういった背景の違いを考えた上で『VRおじさんの初恋』がロスジェネを知らない外国人に読まれることについて、どのように思われますか。

おっしゃる通り、ロスジェネとリーマン・ショックは、それによって多くの一般庶民の生活に経済的打撃を与えたという意味では通じるところがあるものの、同じ軸で語るにはさすがに違いが大きいと思います。

特にロスジェネの諦念については日本人の自省的な国民性に根ざしているところもあると思っており、その感覚をそのまま外国人に理解してもらうことは難しいのではないでしょうか。

しかし、物語構造としてはホナミとナオキの関係は、時代背景を強く考慮せずとも『成功者と社会的弱者』のシンプルなストーリーとして破綻のないものになっていると考えています。

貧困の描写は国によって感覚が異なるため「VR機材を持っている時点であまり貧しくないのでは…」と思われる可能性はありますが、他にも、ナオキの勤務先での評価はかんばしくないとか、学生時代にはスクールカーストの底辺にいた、という描写もあるので、なんとなくは感じてもらえるのではないかと期待しています。

――作品を書かれた当時はVRChatが今のように人気にはなっていませんでしたが、暴力さんご自身はVRの経験を参考にしたのでしょうか。

PlayStation VRのようなVRゲームは体験していました。その時にかなりVR酔いしたこともあり、VRChatの体験までには至りませんでしたが、その場にいるかのようなリアリティや、現実にないものを触っているかのような疑似感触には感動しました。

あとは、当時日本でもテレビで芸能人が盛んにVRゲームの体験企画を行っており、「普段ゲームに親しんでいない人がVRを体験するとどういう感動をするのか」を興味深く観察していたことが大きなヒントになりました。

どちらかというと、自分が触った感覚よりも、他人が触った時の感動を観察した経験のほうが役立っているかもしれません。

――コロナ禍の今、作品の重みや意味合いが変わったと思いますか。影響があるとしたら教えてください。

コロナ禍は私たちの世界のあり方を大きく変える歴史的事件でしたが、実は作品のテーマそのものにはあまり深い影響を与えていないと思っています。

漫画のエピローグにて、自宅で仕事をしていた母親がマスクをして出かける描写をすることで、作品世界が現実と地続きであることを感じさせる仕掛けを入れました。しかしそれは「この話がリアルで起こりうることを強調するギミック」という以上の意味はありません。

コロナ禍は大きな災厄ではありますが、そこに物語として過剰な意味を与えたくなかったというのもあります。災厄は災厄でしかないので。

コロナ禍で会えない人々がVRでコミュニケーションを取ることを選択する可能性…という読み解きもできるとは思いますが、そこは読者の感じ方に委ねることにしました。

――この話の流れで、もう1つお聞きしたいことがあります。第1部の終わりにホナミから一方的に別れを告げられたナオキは、納得できず実世界のホナミに会いに行きましたよね。ナオキはVRだけでなく、現実でもホナミと関係を持ちたいように感じました。

2人が現実世界で会ったのは、「VRで会い続けましょう」とホナミに伝えることができなかったナオキが仕方なくとった行動だったのか、物語として現実での出会いが不可欠だったのか、どちらなのでしょうか。

コロナ禍も同様に、会いたくてもなかなか会うことができない世界だからこそ、お聞きしたいです。

第1部を連載していたのは2018年後半から2019年初頭にかけてだったので、執筆時にはコロナ禍がなかった…というのが理由です。物語の中では最終話(単行本13話)とエピローグの間にコロナ禍が発生しています。

よって、第1部におけるナオキの行動についてはコロナ禍における行動という意味は含まれていないのですが、一応補足をすると、第1部終盤でのナオキの心理は段階を踏んで少しずつ動いています。

ナオキは、当初ホナミの別れを告げる意思を尊重したいと思い、いままで自分がしなかったような海辺のレジャーを試みますが、そこではっきりと「自分が今求めているのは、よりよい人生などではなく、これからもホナミとコミュニケーションを取り続けることだ」と自覚します。

さながら映画『ドーン・オブ・ザ・デッド』のピーターのように、彼は道徳的な自己犠牲を否定して、自分の衝動に忠実になろうとします。

しかし、その時点ではホナミはもうVRにログインしていなかったので、ナオキはホナミの個人情報をハッキングして住所を割り出すという荒業に出ます。そこで手紙やメールなどの手段を取らなかったのは「そのやり方では、またやんわりと会うことを避けられるだろう」と考えたからです。

第2部のクライマックスでも、ナオキはホナミにVR内求婚というアグレッシブなアプローチをしていますが、土壇場で向こう見ずな行動に出てしまえるのがナオキという人格の個性でもありますし、ナオキがそもそも社会的に失うものを持っていない弱者だからこそ、捨て身の行動ができることの証左にもなっています。

©暴力とも子|©一迅社

――昨今、『バ美肉(バーチャル美少女受肉)』のことをジェンダーアイデンティティとして考える論調があります。ホナミもナオキも、VRで少女の姿をしていますよね。

暴力さんによると「ナオキにとって女性はファンタジー、ホナミにとっては尊敬と尊重の対象」とのことですが、2人とも女性としてのアイデンティティをVRで表現しているという意識はあるのでしょうか。

©暴力とも子|©一迅社

ナオキは女性のアバターを使っていても、その精神性には基本的に大きな変化はありません。彼は女性と深いコミニュケーションを取ってこなかったため、そもそも男性と女性の感覚の違いをあまり認識できていません。

ナオキにとって少女のアバターを使うことは、単純に「見た目がかわいい」と感じられること、そのアバターを使うことで普段の自分の見た目を一時捨てられること以上の意味はありません。

クラスメイトの女子への憧れがそのベースにありはしますが、それ以上の発展はしないという感じです。

一方でホナミは女性のアバターを使うことで明確に女性としてのアイデンティティを獲得していきます。作中では男性のホナミと女性アバターのホナミの性格の違いを細かくは描写していませんが、設定としては存在します。

女性アバターのホナミは、現実のホナミよりも感情を隠さず好奇心おう盛で、自分の笑顔が魅力的なことに自覚的です。一番大きな変化としてはホナミがVR内のナオキに恋愛を感じた時、その感情にはホナミが本来持ち得なかった母性が含まれています。それは更に第2部で葵に対する嫉妬という描写に継承されています。

この作品がナオキ中心の物語であることと、ナオキ自身が他人の心の機微に鈍感であることもあり、作中であまりホナミの心理は描写されませんが、ホナミは現実の自分とVR内の自分の感じ方が違うことを楽しみながらも戸惑っており、それが最終話(単行本13話)の独白に繋がっています。

ホナミがこれまで女性と触れることで学習してきた女性性が、女性アバターを使い続けることによってホナミの中のもうひとつの人格として成熟した…という兆しを描いています。

©暴力とも子|©一迅社

――ナオキは子供の時に楽しくコミュニケーションをとり、楽しく人生を過ごす女子同級生の姿に憧れたためにその姿を選んでいますが、女性を尊敬しているホナミはなぜいつも露出度の高い服装をしているのでしょうか。

ナオキ自身も嫌がるような言動をとっていますが、内心は喜んでいるということでしょうか。ホナミが服を試着する場面で「元気が出る」といっていたのは女性としての立場なのか、男性目線で楽しむからか、どちらなのでしょう。

これは非常に難しい質問ですね。ジェンダー問題に対する感覚の差はあらゆるところに存在し、価値観を一元化することは難しいと考えています。

例えばアメリカと日本でも捉え方が異なる部分はありますし、更にはナオキとホナミそれぞれで女性に対する『尊重』の考え方の違いがあります。

この作品は、基本的にはキャラの思想に優劣をラベリングすることをしていません。よってこの物語で描かれているキャラの思想は必ずしも道徳的に正しいとは限りません。

その前提においてですが、ホナミはもともと、男女問わず、自身の身体的魅力を外に向けてアピールすることをポジティブに捉えるタイプです。よって露出の高い衣装を着ることを『生命力のアピール』『若々しさの享受』という意味合いで楽しんでいます。

そういった衣装を嫌がる人の感覚も認識していますが、第1部序盤では自身が別人の姿になったことに浮かれているので、ふざける気持ち、高揚した気持ちが勝ってしまい、ナオキに対してああいう行動に出ています。

次第に女性の身体感覚に馴染んできた3話では、もうそこまで露骨にナオキにべたべたくっつこうとはしていません。4話では、自分の恋愛感情に自覚的になっているので、親しくなったことの確認行為として接触アピールをしています。

ナオキは、第1部の1~2話だとホナミの身体的接触を本当に嫌がっています。なれなれしさに対する嫌悪と、女性のプロポーションを過剰にアピール(しているとナオキは感じている)する衣装にも嫌悪感を抱いています。

ただ、ホナミが積極的に自分と関わろうとしていることに戸惑いつつ、VR初心者であるホナミを放ってもおけない…という気持ちの境界で揺れています。

4話ではもうナオキもホナミに好意を感じ始めているので、ホナミの接触を『親しくなった相手からのじゃれあい』として受け止めています。

©暴力とも子|©一迅社

――なぜ、葵もまた女性の姿を選んだのでしょうか。ホナミの『ガワ』を試してそれをマネしたのか、ほかに理由があるのか…。

葵が女性のアバターを選んだことには、そこまで深い意味はありませんし、ホナミをマネしたということもありません。

これを語るには、まず前提として日本のVRユーザーは、男性が女性アバターを使うことがあまり珍しくないという前提を理解してもらう必要があるかもしれませんね。VRに限らず、アバターを使ったゲーム全般においていえます。

ユーザーがそうする理由には「女性アバターを見て楽しみたい」というやや即物的な場合もありますし、「男性である自分と性別ごと別の存在になりたい」という変身願望の場合もあります。選択の理由は人それぞれで異なるものです。

その上で、葵は年齢が12~13歳の設定で、中学校に上がって間もないのですが、同級生に比べて未成熟な自分にコンプレックスを感じています。なのでひときわ身長が高く、ユニセックスな印象のアバターを選んでいます。

彼にとっては『普段の自分の印象を継承したまま、身長が高く性別を感じにくい見た目』であることが重要なので、今のアバターに近い見た目で納得のいくカスタマイズができるなら、設定上男性のアバターを使っても問題ないと思っています。

――がんの手術の後に声が出なくなってしまったホナミが、第2部では電動式人工喉頭やキーボードを通してコミュニケーションをとる際、『ガガ』や『ガタガタ』という擬声音が入る描写が印象的でした。

さまざまな病気がある中、暴力さんがあえて声に関係する病気に注目した理由はあるのでしょうか。また、第1部でナオキとホナミがVRで交流していた時は地声で話していたのでしょうか。

ジェンダー問題同様、病気の描写もデリケートですね。ホナミは咽頭(いんとう)がんを患っていましたが、自覚症状が薄いまま、がんのステージが進行してしまっています。

第1部5話まではせき込んでいて、実は生活の中で吐血などもしているのですが、しゃべることはできていたので地声でした。

「なぜ咽頭がんにしたか」…という質問ですが、切除手術によって発声というコミニュケーションの手段を1つ失ってしまうこと。そして、その変化が不可逆であることが重要でした。

ホナミには「VR上で発声できなくなることが、ナオキに対して常に配慮を求めるプレッシャーになるのではないか」という恐怖心がありました。

しかし結果として、ホナミが声を失ったことはナオキにとって何ら障害になりえない。なぜならナオキは、ホナミ自身が存在してくれることだけを求めていたから…という展開につなげたかったのです。

これは人と相対する時に「できるだけいい自分を保ちたい」と考えるホナミと、「いい自分になるために好きな人と一緒にいたい」と考えるナオキとで、考え方の違いを表現したものでもあります。

咽頭がんは比較的リンパに転移しやすいがんといわれていて、知識がある人が見れば「継続した検査が必要だし、ともすればすでに転移しているかもしれない」と予感することもできるように…という狙いもありました。

第1部も分かりやすいハッピーエンドではなく、現実が続く以上、どこか静かな悲しみを伴うものにしたかったという狙いです。

――作中の描写で、2018年当時のVRとしては動きなどの技術が発達していますが、未来という設定だからなのでしょうか。それとも、ナオキとホナミの想像力でお互いに補っている部分があるのでしょうか。

©暴力とも子|©一迅社

設定としては『現実のVRよりも数年先の技術』を先取りした世界観にしています。現実の生活は2018年当時の感覚のまま、VR技術だけは現実よりもちょっと進歩している世界として描いています。

ただ、ナオキとホナミが想像力で補いあっているという設定で読んでも本筋に破綻はないため、それは読者自身がしっくり来るほうで解釈してもらえればいいと考えています。

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