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「僕が絶対お父さんを見つける!」母の涙を拭うため プロ野球を目指した、日隈ジュリアス

By - grape編集部  公開:  更新:

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父は必ず生きている、プロになればきっと会える

敦子さんは、毎朝5時前に起きて息子たちの食事を作り置き。事務の仕事は深夜まで行うことも。二人の息子を育てるために必死で働きました。

野球で夢を追い頑張る息子の笑顔があるから」と、敦子さんも前を向いて進むことが出来たそうです。

決して楽な暮らしではなかったけれど、ジュリアス投手は文句ひとつ言わず、弟モンテルくんの面倒を見ながら野球に打ち込んできました。

そしてジュリアス投手は15歳の春、母の元を離れ高知中央高校に進学。このとき彼は、ある写真をお守り代わりに持って旅立ちました。

ベッドのそばに飾られた2枚の写真。

一番近くにいてほしかった存在なので、一番近くに貼っている

「夢を叶えたい」という気持ちをいつも奮い立たせてくれる、一番最後に撮った家族写真です。

父はきっと生きている、そう信じて野球に全てを捧げました。

そして、実力が認められプロから注目される存在になったジュリアス投手。

「メジャーでプレーできたら、全米にニュースが広がる。もし父に会えなくても、頑張っていると分かってくれたら。恥ずかしいけれど、それがボクの夢です。」

14年経っても変わらない夢。そのひたむきな姿は、共に闘った仲間たちにも希望を与えました。そしてドラフト会議を迎える彼へ、心強い応援が届きます!

仲間たちからメッセージ

運命のドラフト会議

心強い仲間たちからの声援を胸に、運命のドラフト会議当日。

朝から緊張して、学校でもソワソワしていたジュリアス投手。

手に汗握る中、四巡目に東京ヤクルトスワローズから指名を受けました!!!

まるで自分のことのように、願い、喜んでくれる仲間たち。彼らの存在も、大きな心の支えになったのではないでしょうか。

緊張から解放されたジュリアス投手の元へ、ある人から一枚の手紙が届きます。

次ページ:ジュリアス投手の元へ届いた手紙とは…

出典
@0525_ajmhigum@UchinaKtm@KochiChuo@wakameman10

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