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「帰りたくない」という10歳児 子供の言葉から考える『終わり』と『未来』

By - grape編集部  公開:  更新:

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きしもとたかひろ連載イラスト

X(Twitter)やnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。

連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒す文章をお届けします。

『大人になってもできないことだらけです。』看板イラスト

最終回『いつのまにかのブロッコリー』

いつものように遊びにいった帰り道、10歳の友人がいつもよりもゆっくり歩いていた。どうしたのかと尋ねると、「まだ帰りたくないから、ゆっくり歩く」と返ってきた。

3歳くらいのころ、ずっと遊んでいたくて、「まっくろイヤやの!まっしろがいいの!」と、暗くなった空に向かって怒っていたのを思い出す。今日も「楽しい時間が終わってほしくない!」と思えるような、そんな一日を過ごせたのだと思うと嬉しくなる。

「楽しかったもんね」と答えながら、せっかくなので僕も、残り少ない楽しい時間を噛み締めるように、ゆっくりのペースに合わせて歩いてみる。のっし、のっし、という感じに。

「あのさ、いっぽいっぽ歩くのと、寝るのが怖いねんな」と、話し始める。

僕は、「一歩ずつ歩くこと」と「寝ること」の共通点を見つけられずに「そうなんや、なんで?」と、なんの捻りもない相槌をうつ。すると、「死が近づいてる気がするから」と予想だにしない言葉が返ってきた。

“死”という穏やかではない単語に一瞬ドキッとする。それが生物的な死というよりは、「なにかの終わり」というような抽象的なものを指しているのかなと想像する。

普通に歩いていると意識はしないけれど、いざ一歩一歩足元を確認して踏みしめながら歩いてみると、なにかの終わりに近づいているような、そんな気がしないでもない。

楽しかった時間が終わる寂しさや、漠然となにかが終わったり消えてしまいそうな不安。正しい言葉ではないかもしれないけれど、言葉にはできない感情だからこそ、子どもは自分の知っている言葉でそれを表現する。

公園から学童へ帰る道で「帰りの匂いがする」と言っていた子のことを思い出す。「終わったなあー寂しいなあー、けどまあ明日も学童あるしなあって感じの匂いやな」とその子は教えてくれた。

きしもとたかひろ連載イラスト

いつもの“ピョンピョン”と呼んでいる室内遊び場で、終了時間が近づいてきたので「あと20分くらいで帰るよ」と声をかける。切り替えがしやすいように「見通し」を伝えるのは、子どもとの関わりで大切なことだ。

しかしながらその時は、「せっかく楽しく遊んでるのになんで言うん!」と怒られた。楽しい時間に水をさしてしまったようだ。難しい。「じゃあ、いつ声かける?」と尋ねてみると、「3分前」と言われた。そんなギリギリでいいのか?と思いつつも言葉にはせず、了承する。

言われた通りに3分前に声をかけると、「最後に一回かくれんぼ!」と言って最速のかくれんぼをしてから、名残惜しそうにゆっくりと遊び場を一周してきて未練たっぷりで出口へ向かった。

「楽しい時間が終わってほしくない」と味わうようにゆっくり歩く姿もあれば、一方で「ギリギリまで残り時間を言わないで」と言う姿がある。

矛盾しているように思えたけれど、考えてみれば、どちらも「楽しい時間を思い切り過ごしたい」という意味では同じなのか。楽しい時間が終わってほしくないからこそ、それが終わることを意識するのを嫌がるわけだ。

成長とともに、時間の感覚や未来についてのことなどの抽象的な概念が理解できるようになる。まさに、この今と未来との矛盾こそが、その葛藤こそが、その子の姿であり、その子の成長の最中なのだ。今を全力で生きながら、自分の力で少しずつ未来と向き合えるようになっていく。

だけど、大人の僕は、未来を見る意識がどうしても強くなってしまう。将来困らないように、幸せな人生を歩めるように、この社会で生きていけるように。さまざまな、その子の未来への思いがある。

さらに、周りの目とか社会の空気や大人の責任と言われるようなものなどの、「本当に必要なことかどうかはわからないけれどできなきゃいけない気がすること」が混じってきて、その子のためにどうするのが正しいのかわからなくなる。

子どもや自分が間違っているかもしれないと悩みながら、間違ってはいけないというプレッシャーを感じながら、けれど間違いを認めずに子どもがしんどいままではいけないと立ち止まり反省して、を繰り返す。そんな中で、子どもの穏やかな顔を見てやっと、「大丈夫だったかな」「間違っていなかったかな」とほっとする。

ようは不安で心配で仕方ないのだ。いま出発しないと予定に遅れてしまうかも、いまできていないと次に進めないかも、いま頑張っておかないと将来困るかも。見通しが立つからこそ、過去が今に続いていて今が未来に続いていると知っているからこそ、そうやっていつか来るであろう未来の今を心配するんだよね。

その未来の不安をよそに、その子は今を全力で生きている。そのすれ違いが余計にヤキモキする。本当は僕だって、その子との今を全力で楽しみたい。その思いは当然あるんだ。

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「あ、切符にバイバイするの忘れてた」と、改札を出たところで友人が立ち止まった。

電車の改札で、入場するときは切符に穴が開いて返ってくるけれど、出場するときには戻ってこない。友人は小さな頃から、その消えてしまう切符に「バイバイ」と言ってキスの真似をし、自動改札機に吸い込まれていく切符に手を振っていた。電車に乗る前に購入した、乗車中ポケットに入っていただけの切符に、だ。

意味がわからないけれど微笑ましくて温かい気持ちになれるので、僕は好きな姿だった。そのうちやらなくなるだろうと思っていたけれど10歳を超えても続けているから、もしかしたら大人になってもずっとやるのかな、と淡い期待を抱く。

と言いつつ、いつかはやらなくなるだろうという覚悟もちゃんとしているから、最近はその姿を見るたびに「あ、まだ続けてるんだ」と、こっそり嬉しくなっていた。その、終わりが近づいていていることを知らせる出来事だった。

小さい頃に見られていたその子らしい行動や言葉が、大きくなるにつれていつのまにか見られなくなっていくことがある。それが成長であるとも言えるのだけれど、その瞬間には気づかずに、見なくなってしばらくしてから「そういえば、やらなくなったな」と気づく。

「ブロッコリー」をうまく言えず、鼻が詰まった声で「ボロッポリー」と言っていたのを思い出す。もうずいぶん前に消えた言葉だ。

本人が聞こえたままを言っているということは、その子にとっては「ボロッポリー」だから、そもそも「言い間違い」ではない。なんだったら、「言葉は文字で構成されている」という概念を手放したら、ほとんど合っていると言える。

冷静になればそんなふうに思えることも、その時は可愛らしいなと思う一方で、「間違えたままだと将来恥ずかしい思いをするかも」とか、「正しい形を教える責任が大人にあるのでは」と考えてしまう自分もいた。その時にしか見られない、その時にしか聞けない声だということに、後になって気づく。

そして、その姿をもう見られないことに寂しさのようなものを感じる。それは、成長せずに小さい可愛らしいままでいてほしかったという身勝手な思いというよりは、その子の姿を思い出して感傷に浸るような、その瞬間を僕は大切にできていたのだろうかと少し後悔が混じりながら懐かしむような、そんな感覚だ。

成長すると、新しい姿が増えていく。けれどそれと同時に、その時あったその子の姿が消えていく。ブロッコリーが言えるようになったら、ボロッポリーとは言わなくなる。切符にバイバイもしなくなる。それが成長だから、喜ばしいことではある。

けれど、育ちのなかで”いつか”できた方がいいだろうことも、それが”その時”でなきゃいけない、という訳ではないのかもしれないと思う。

ちゃんとさせなきゃとか、その歳でそんなことをしてていいのかなと、不安になる。そうやって大人の責任として急いで成長させなきゃって思った時には、「もうしばらくはこのままでもいいんじゃないか」って、時々立ち止まれるようにはしておきたい。

その時はまだ、そのままで大丈夫なことも、もしかしたらずっとそのままで大丈夫なことも、たくさんあるんじゃないか。

できなかったことができるようになったとしても、それがその子の育ちの中で身につけていったものなのか、その子の姿を矯正されてきたものなのかで、意味は全く変わってくるだろう。

成長する中で「いつか見えなくなる姿」って、未熟な姿でも、間違えていた姿でもなく、その時のその子のそのままの姿だ。それはその子のその時点での満点だ。その子のまま、その子の育ちの中で、できないことができるようになったり、できていたことができなくなったり、変わり続けていくだけなのだ。

その時々のその子の姿を、いつか見られなくなるその子の姿を、その時だけでもちゃんと大切にできるようにしておきたい。

そして、大人から見て子どもが成長する中で「やらなくなる」ことが多くあるように、子どもにとっても「小さな頃にはやってもらっていたのに、やってもらえなくなること」がある。

抱っこをしてもらえなくなるし、褒めてもらえなくなる。甘えることもできなくなる。それらが、その子自身が必要としなくなって消えていく場合もあれば、こちらから失くしていく場合のこともあるだろう。

いつかその時がくるのだから、今その子が必要としていることならば、それに応えられるのであれば、甘えとか人の目とか気にせずに、迷わずに応えていいんだと思う。

きしもとたかひろ連載イラスト

そういえば、食べ終わったアイスの容器にキスをしてゴミ箱に投げ入れていたこともあった。あの時に、きっとずっと忘れないだろうと思った通り、いまも忘れずに時々思い出しては、その訳のわからなさに笑って幸せな気持ちになっている。

ふとした時に子どもたちの姿や日々を思い出して豊かな気持ちになるのは、こんなどうでもいい場面ばかりだ。思い出すきっかけにもよるのだろうけれど、多くの場合は、なにか意味があるようなものではなく、日常の何気ない、本当になんの意味もないようなシーンだ。

いまは見られないその子の姿やその子とのやりとりを温かい気持ちで思い出す時には、あわせて「あの時あんな風に関わっていればよかった」という後悔も出てくるから厄介なんだけどね。

その子のためにと思って毎日を過ごしていても、「あの時の自分のおかげで、その子はいま幸せなんだ」と思える場面なんて、まったくない。自分を褒めたい場面もあるにはあるけど、それはどちらかというと、その子を傷つけずにいられたこととか、余計なことを言わずにいられたこととかだ。

僕は、忘れたくないと思える大切な瞬間と、忘れちゃいけない後悔とを、同じ思い出の箱にしまっているらしい。「こうしていればよかったかな」という後悔と合わせて、何気ない、意味のわからないような場面が一緒に大切に納められている。そしてそれに救われてもいる。

そのいつか思い出す何気ない姿やなんでもない時間のために、いまの日々があるのかな、と思ってみる。それを思い出せるのは、特別に印象的なシーンだったからというだけでなく、こんなふうに書き残してきたからこそ色濃くなっているのだろうから、この連載の場をいただけたことをありがたく思う。

いまの、まさにこの瞬間はどうかな、と考えてみる。後悔しない選択をしているかな、今を大事にしているかな、書き留めていつか思い出したい瞬間はあるかな、と考え初めて、「後悔しないように」とか「いつかのために」って言っている時点で、今を見ずに未来のことばかり話していることに気づき、すぐに矛盾する自分を笑う。

室内遊び場の”ピョンピョン”は、年明けに閉店するらしい。利用年齢が10歳までだったから、いずれにしても近いうちに終わりが来たんだけれど、それでもやはり寂しい気持ちになる。帰りの電車では切符にバイバイをしていたから、その姿はまだ見られそうだ。

最後の思い出にもう一度くらいは行こうかなと考えながら、いや、思い出のためではなくそこで遊べる時間を思い切り楽しむためにまた行こうかな、と思い直す。

余談ですが

喫茶店で横に座ったおじいさんたちが、「3月に入ってもう1週間や。来週過ぎたら3月も半ばで、言うてる間に3月も終わりやで」と話していた。まだ3月になったばかりなのにさすがに気が早すぎるんじゃないか、と思う。

一緒に来ていた連れ合いが、まだ土曜の朝なのに月曜日の出勤を憂いている。あのおじいさんと同じだ。「日曜が終わったら月曜日で、3月が終わったらもう4月で、言うてる間に半年過ぎて、あっという間に今年も終わるなあ」と、ふざけて話す。

それが、少し前のことだったはずなのに、今はもう12月の終わりだ。“言うてる間に”今年も終わる。

終わりが見えると、とたんに残りの日々が貴重に思えてきて、その日々を丁寧に過ごさなきゃいけないような気持ちになる。それならば普段から丁寧に過ごせばいいのだけれど、そういう話でもない。

今この瞬間を逃さないように、この瞬間を忘れないようにと、大切な人とその時を大切に過ごすことも大事にしたい。けれど、そんなことを考えずになんでもない時間を過ごしたりその人との時間が永遠にあるように無駄に過ごすことは、もしかしたら何よりも贅沢なことなのかもしれない。

ギリギリまで終わりの時間なんて気にせず楽しんで、3分前に終わってほしくないなと未練がましく名残惜しんで、ゆっくりゆっくり一歩ずつ噛み締めながら帰り道を歩けばいいか。


[文・構成/きしもとたかひろ]

きしもとたかひろ

兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。SNSアカウントやnoteに投稿している。
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