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世界記録を塗り替えた義足の銀メダリスト・山本篤 彼を支えたある「出会い」

By - grape編集部  公開:  更新:

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出典:YouTube

2008年の北京パラリンピック・走り幅跳びで銀メダルを獲得、日本人の義足陸上選手として初のメダル獲得を果たした山本篤選手(34)。

2016年5月には鳥取市で行われた日本パラ陸上競技選手権で6m56cmを跳んで世界記録を塗り替えるなど、今も世界トップクラスで活躍を続けています。

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山本選手は高校2年生のときに原付バイクの自損事故で左足が壊死、大腿部の一部を残して切断を余儀なくされました。切断後しばらくは「なんでこんなことになってしまったんだ…」と涙が止まらなかったそうです。

そんな山本選手はどのようにして心身の傷を克服し、障がい者陸上のトップアスリートとして活躍するまでになったのでしょうか。

山本選手を支えた、2人の恩師

山本選手自身は、「ここまでやってこられたのは、支えてくれた家族や友人、そして2人の恩師との出会いのおかげ」と振り返っています。

2人の恩師とは、どのような人たちなのでしょうか?

前向きな気持ちで生きるように導いてくれた、理学療法士

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※イメージ画像です

まず1人目は、左足切断直後に山本選手のリハビリを担当した理学療法士のAさんです。

山本選手は常に自分を励まし、前向きな気持ちで生きるよう導いてくれたAさんに感銘を受け「自分も理学療法士になりたい」と思うようになりました。

しかし、Aさんは意外にも山本選手の決断に反対。「理学療法士は体力が勝負。高齢者や重度の障がいを負った人のケアでは全体重を支えなくてはならないことも多い。片足を切断している君には無理がある」と諭し、義肢装具士への道を勧めてくれたのです。

山本選手はAさんの勧めに従って義肢装具士を目指すことを決意。福祉系の専門学校に進学し、そこで障がい者陸上競技に出会いました。

もし、このとき理学療法士の道に進んでいたら…、山本選手はまた別の人生を歩んでいたかもしれませんね。

才能を開花させてくれた、伊藤章コーチ

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※イメージ画像です

2人目の恩師は専門学校を卒業後に入学した大阪体育大学陸上部の伊藤章コーチ。「スタート時の足はハの字で」「腰の筋肉を使って走れ」等、科学的データにもとづいた伊藤コーチのトレーニングを受けたことで山本選手の才能が一気に開花しました。

余計なことは何も言わず、選手自身に考えさせる伊藤コーチの指導法は、研究好きな山本選手の性格と相性がぴったりだったのです。

「まずは自分でやってみる、そしてそれを検証して、必要な修正を加える」というサイクルを繰り返すことによって、山本選手はみるみる記録を伸ばしていきました。

そして、同大卒業の年に行われた北京パラリンピックで、見事メダル獲得を果たすまでに成長を遂げました。

そして今、山本選手は競技の傍ら、伊藤コーチの下で新たな挑戦を続けています。

自らを被検者として義足アスリートの研究論文を執筆し、すでに修士号を取得。次は博士号を取得すべく研究を続けているそうです。

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※イメージ画像です

そんな山本選手の活躍に憧れ、母校の大阪体育大学にはさまざまな障がいを持つ学生が入学。「第二の山本」を目指して、トレーニングに励んでいます。

「体育を勉強したい障がい者のために、山本が道を開いてくれた」と喜ぶ伊藤コーチ。山本選手は「自分で自分の限界を決めてしまうと、それ以上伸びるはずはない。後輩たちも自分で限界を決めず、可能性を広げてほしい」と話しています。

今年、34歳になった山本選手。陸上選手としてはすでにベテランの年齢です。今後は競技者としてはもちろん、指導者・研究者としての活躍も楽しみですね。

ダルビッシュ有選手の画像

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出典
2016ジャパンパラ陸上競技大会速報動画

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