「15年前、大変失礼いたしました」両陛下のお言葉に涙した、マレーシア人男性
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買った花束を店に置いていった女性 その後の展開に「鳥肌が立った」買った花束を店に置いていった女性 その後の展開に「鳥肌が立った」
2017年に国交60周年を迎えた日本とマレーシア。
天皇陛下は今までに3度マレーシアを訪問され、マレーシアからも国王や首相が数度に渡り来日するなど、良好な関係を築いています。
そんなマレーシアに住む男性と、天皇皇后両陛下の心温まるエピソードをご紹介します。
天皇陛下に、手紙をしたためた少年
1991年9月30日、マレーシアを訪問された陛下と美智子さま。
クアラルンプールに到着されたあとは国会議事堂前での歓迎式典や晩餐会に参加され、翌日に予定されていたマレーシアの都市クアラカンサーを訪れることを楽しみにされていました。
しかし翌日、隣国のインドネシアで山火事が起き、煙の影響で飛行機が飛べなくなってしまったのです。結果、クアラカンサーご訪問は中止となってしまいました。
その報告を聞き、人一倍残念な思いをした人物がいました。それはクアラカンサーに住む15歳の少年、ムハマド・ハフィズ・オスマンさん。
日本びいきの祖父と父の影響を受け、日本文化を愛する彼は、両陛下の訪問を本当に楽しみにしていました。
彼が在籍していた学校『マレーカレッジ』にて、両陛下歓迎の挨拶をすることになっていたハフィズさんは、あまりのくやしさに涙が枯れるまで泣いたそうです。
しかしハフィズさんは諦めませんでした。翌日、祖父から教えられていた『日本人の義理堅さ』を信じ、両陛下がまた来てくれることを願って、手紙をしたためたのです。
日本とマレーシアの架け橋になりたい
やがて月日が流れ、日本への思いがますます強くなっていったというハフィズさん。
日本語を猛勉強し、筑波大学に入学。そして日本で就職することになりました。
日本とマレーシアの架け橋になりたい。
そんなハフィズさんの思いが天に届いたのか、ある日、日本とマレーシアをつなぐ東方政策事務所の日本担当者として活躍することになったのです。
東方政策とは、日本や韓国の成功を参考に、国民の労働倫理、学習・勤労意欲、道徳、経営能力などを学んで自国に活かそうという、マレーシアの政策です。
日本の担当者として忙しい日々を送っていたハフィズさんは、母校であるマレーカレッジから念願の電話を受け取ることになります。
日本の天皇陛下と皇后陛下がまたマレーシアを訪問されるのだが、案内役をやらないか。
ハフィズさんはこれを快諾しました。
15年越しに叶った願い