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誰もが小脇にせつなさや悲しみを抱えながら『いま』を生きている

By - 吉元 由美  公開:  更新:

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吉元由美の『ひと・もの・こと』

作詞家でもあり、エッセイストでもある吉元由美さんが、日常に関わる『ひと・もの・こと』を徒然なるままに連載。

たまたま出会った人のちょっとした言動から親友のエピソード、取材などの途中で出会った気になる物から愛用品、そして日常話から気になる時事ニュースなど…さまざまな『ひと・もの・こと』に関するトピックを吉元流でお届けします。

せつなさは小脇に抱えて

留学先から冬休み帰国した娘と、久しぶりに家族三人で近所の小料理屋さんに行きました。ひじきの煮物やら揚げだし豆腐、銀杏、きぬかつぎ…お酒を熱燗でいただきながら、話題は尽きません。

締めのご飯を頼もうかという頃、二軒目か三軒目にやって来たとおぼしき賑やかなおじさま二人が、私たちのすぐ隣のテーブルに。大声で話して、大声で笑う。私たちの話す声が聞きづらくなり、もう帰ろうか…というムードになったとき、

「一杯どうですか?」

と、あご髭を生やしたおじさまが夫にお酒を勧めました。

「あ、僕はもういっぱいいただきました」と夫がやんわりと断ったときのおじさまのがっかりした表情…。

「では、私がいただきます」と、私は思わずお猪口を手に取っていました。

「うるさくてすみません、久しぶりなので盛り上がってしまって」

「僕たち、五十年以上のつきあい、いま、七十歳、五十年、いま七十歳」

もう一人の眼鏡をかけたおじさまはいい調子です。

二人は高校の同級生であること。違う大学へ行ったが、それぞれ銀行に就職したこと。お互いを軽くからかったりするのを見て、私たちも大笑いしながら話を聞いていました。

学生時代の話になり、私が英文科を卒業したというと、眼鏡のおじさまのスイッチが入ってしまいました。

「A大学文学部英文科、最高だよ。A大学の英文科、ここが最高だ」

「いえ、私、B大学です」

「英文科は最高! A大学の英文科! 英文科は美人揃いだ」

A大学の英文科に好きな人がいたのかもしれません。ときどき、遠くに笑いかけるような笑顔を浮かべては、「やっぱり英文科だよね」とつぶやいている。

「死んじゃったんだよ、彼女。22歳のときに」

あご髭のおじさまが、そっと教えてくれました。英文科は最高だ…。滑稽にも思えた言葉が、しゅんっと胸の奥に沁みました。

レイ・ブラッドベリの『みずうみ』という短編小説があります。12歳の夏に初恋の少女が湖で溺れて沈んでしまう。なぜか遺体は見つからず、少年はそのことを胸に秘めたまま大人になってしまった。でも、少女の時間は止まり、永遠に少女のまま…。せつなさという残酷。

レイ・ブラッドベリの『みずうみ』を思い出し、遠くに笑いかけるように「英文科は最高だ」と繰り返すおじさまの物語を垣間見たような気がしました。

誰もが小脇にせつなさや悲しみを抱えながら『いま』を生きている。他愛もない日常の中にあるかけがえのないものを抱きしめながら…。賑やかだったテーブルに、一瞬止まったような時が流れました。

※記事中の写真はすべてイメージ

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[文・構成/吉元由美]

吉元由美

作詞家、作家。作詞家生活30年で1000曲の詞を書く。これまでに杏里、田原俊彦、松田聖子、中山美穂、山本達彦、石丸幹二、加山雄三など多くのアーティストの作品を手掛ける。平原綾香の『Jupiter』はミリオンヒットとなる。現在は「魂が喜ぶように生きよう」をテーマに、「吉元由美のLIFE ARTIST ACADEMY」プロジェクトを発信。
吉元由美オフィシャルサイト
吉元由美Facebookページ
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