三陸鉄道はなぜ『震災復興のシンボル』になれたのか? By - grape編集部 公開:2016-03-11 更新:2018-04-19 三陸鉄道東日本大震災電車 Share Post LINE はてな コメント ――震災当時のことを教えていただけますか 凄い揺れで、運行部内は資料などが散乱し、停電にもなっていました。幸い鉄道は自家発電を持っているので、テレビをつけることができたのです。 その時テレビでは、釜石に津波がきた映像が映し出されていました。あまりにも衝撃的な映像は、現実に起こっていることとは思えませんでした。 「釜石に津波きたよ、どうしよう」なんて話していたのですが、女性社員が「川が溢れています」と。 それで窓の外を見てみると、津波が迫ってきていました。 運行部の建物は盛駅より徒歩で4分ほどの位置にあります。 海抜は4~5メートルと高い場所ではありませんが、湾からは2kmほど離れた場所にあります。 私も現地を見て回りましたが、海が近い町という印象はありませんでした。「まさか津波がここまで届くなんて…」当時現場にいたら、私もそう思ったことでしょう。 ――津波の怖さはどんなところでしたか 津波というと、サーフィンの波みたいに大きな波を想像してしまいますよね。でも、ここを襲った津波は見た目の派手さはありませんでした。 そのかわり、ジワジワと水かさが増えて町が飲み込まれていくんです。 このまま建物に留まっていても大丈夫なのか、という不安もありました。他の場所に避難することもできなくなっていましたから、本当に怖かったです。 さらに津波の怖いところは、何度も押し寄せること。昼夜を問わず何度も町を襲ったそうです。 当時の押し寄せる津波を撮影した写真がこちらです。 運行部の近くにある線路には、150台以上も車が流されてきました。 水でショートしたのか、車のクラクションがそこら中で鳴り響いていて、とても気味が悪かったです。 三鉄の希望作戦、始まる! 次のページへ 1 2 3 4 俳優・火野正平さんが逝去 腰痛の治療に励むも腰部骨折に火野正平さんが亡くなったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。 「嬉しい報告があります!」長友佑都が妻・愛梨の妊娠を発表2017年9月2日、長友佑都さんがブログを更新。妻・愛梨さんが第一子を妊娠したことを発表しました。 出典 三陸鉄道 Share Post LINE はてな コメント
――震災当時のことを教えていただけますか
凄い揺れで、運行部内は資料などが散乱し、停電にもなっていました。幸い鉄道は自家発電を持っているので、テレビをつけることができたのです。
その時テレビでは、釜石に津波がきた映像が映し出されていました。あまりにも衝撃的な映像は、現実に起こっていることとは思えませんでした。
「釜石に津波きたよ、どうしよう」なんて話していたのですが、女性社員が「川が溢れています」と。
それで窓の外を見てみると、津波が迫ってきていました。
運行部の建物は盛駅より徒歩で4分ほどの位置にあります。
海抜は4~5メートルと高い場所ではありませんが、湾からは2kmほど離れた場所にあります。
私も現地を見て回りましたが、海が近い町という印象はありませんでした。「まさか津波がここまで届くなんて…」当時現場にいたら、私もそう思ったことでしょう。
――津波の怖さはどんなところでしたか
津波というと、サーフィンの波みたいに大きな波を想像してしまいますよね。でも、ここを襲った津波は見た目の派手さはありませんでした。
そのかわり、ジワジワと水かさが増えて町が飲み込まれていくんです。
このまま建物に留まっていても大丈夫なのか、という不安もありました。他の場所に避難することもできなくなっていましたから、本当に怖かったです。
さらに津波の怖いところは、何度も押し寄せること。昼夜を問わず何度も町を襲ったそうです。
当時の押し寄せる津波を撮影した写真がこちらです。
運行部の近くにある線路には、150台以上も車が流されてきました。
水でショートしたのか、車のクラクションがそこら中で鳴り響いていて、とても気味が悪かったです。
三鉄の希望作戦、始まる!