三陸鉄道はなぜ『震災復興のシンボル』になれたのか?
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- 出典
- 三陸鉄道
――津波がひいた後の町を見て感じたことあはありますか
津波がひいて外に出てみると、線路上にトラックや家屋の残骸など、沢山のものが残されていました。中には線路そのものが流されてしまっている地域も。
他にも火事が起きていて、黒い煙が立ち上っているのが見えました。
もう、本当にどうしたらいいのかと、途方に暮れしまい、復旧や復興という言葉も、しばらくはピンときませんでした。
ただ、震災から約3か月経った6月1日に「三鉄の希望作戦」というものが始まったんです。
青森の自衛隊の方が2週間の間に、延べ2,000人も来てくださって瓦礫を撤去してくれました。
ボランティアの方など、多くの人の力で助けていただきました。本当に嬉しいし、力強かったです。線路上の車などが取り除かれると、自然と希望が湧いてきました。
「我々も頑張らねば」という強い気持ちを持つことができ、会社も3年で復旧させるという目標を掲げることができたんです。
少し熱っぽく語る吉田さん。当時のことは今思い出しても、本当に嬉しいことだったのだと感じました。
奇跡の車両と呼ばれた列車
南リアス線には、震災時に鍬台トンネルという場所で緊急停車し、津波を逃れた「奇跡の車両」があります。
多少変更はされていますが、「あまちゃん」でもそのエピソードが使われたため、知っている方も多いかもしれませんね。
――実際に「奇跡の車両」に起きた出来事を教えていただけますか
奇跡の車両は震災当時、吉浜駅~唐丹駅間を走っていたんです。
途中激しい揺れを感じて、鍬台トンネル内に停車しました。
吉浜の海岸沿いは、ビュースポットになっていて、速度を落として走るんですよ。
もし速度が出ていて、トンネル内で停車することができなかったら…。先にある川付近に停車して、逆流してきた津波に飲み込まれてしまったかもしれません。
当時の写真を見せてもらうと、トンネルの出入り口付近まで津波がきていたことがよくわかります。
奇跡の車両は、震災から約3か月後の6月23日にトンネルから出すことに成功。浸水することもなかったため、現在も走り続けています。
ちなみに三陸鉄道の列車は、電気ではなくディーゼルエンジンで走っています。そのため、自立して電気が使えるので、災害対策本部としても使用されていたそうです。
復旧する必要はあるのか
震災後、国道などは車や家の残骸などが散乱していて、歩ける状態ではなかったそうです。
歩ける道として代わりに使われたのが、レールのひかれていた線路でした。
――歩いている人たちを見てどう思われましたか
線路の上を歩く人たちを見て「いち早く列車を復旧しなければ」と改めて思いました。 地域の復旧、復興のための足掛かりになればと。
ただ三陸鉄道は、赤字会社なんですよ。なので、復旧に100億近く使ってまで列車を走らせる必要はあるのか、という意見もありました。
それでもうちの社長が口癖のように「鉄道がなくなって栄えた町はない」と言っていまして。
そんな思いもあって、復旧は急ピッチで進んでいきました。
――かなり早い復旧ですよね
これは、本当にみなさんのおかげです。私たちも驚いたくらいです。
日本全国から協力していただいたり、クウェートなど様々な国から支援をいただいたりと、多くの協力があったからこそです。
クウェートの支援で購入した車両
――列車が復旧した時の反応はどうでしたか
南リアス線は、あまりにも被害が大きくて、2年間ほど走ることができませんでした。
ようやく盛駅~吉浜駅までの一部区間で運行を始めたのが、2013年4月3日から。全線復旧したのが2014年4月5日のことでした。
復旧したことで、みなさんには大変喜んでいただけて、地域の足であることを強く感じました。
式典の様子を見させていただくと、多くの人が集まっていました。地域の人たちが、いかに三陸鉄道の復旧を待ち望んでいたのかがわかります。
列車を貸し切り!? 新たな試みへ