【私は文房具マニア】万年筆と、書くことの快感~文具自分紀行
公開: 更新:
洗濯は『お湯』がいいって本当? 事実に「マジか」「危ないところだった」洗濯槽のカビ対策にお湯を使いたい時はありませんか。お湯のほうが効果が高そうで…と思うかもしれませんが、実際の効果や適切な湯温について日本電機工業会が公式サイトで解説していました。ぜひ参考にしてみてください。
混ぜて冷やすだけ! 簡単おやつに「2倍量で作った」「食べたい」朝食や小腹がすいた時などにピッタリのヨーグルト。そのまま食べてもおいしいですが、手作りのスイーツレシピで使われることも多いですよね。 簡単レシピ研究家の、まるみキッチン(
私ことヨシムラマリが、日頃から「あーでもないこーでもない」と考えている紆余曲折をあえて公開することで、文房具について思考をめぐらせ悩む楽しさを半ば強制的に共有しようというこのコラム。第5回は、私にとっての万年筆と、書くことの快感について考えてみたい。
文房具マニア的「萌え」ポイントとその例外
鉄道マニアにも乗り鉄、撮り鉄、音鉄と様々な流派があるように、ひとくちに「文房具が好き」といっても、どのようなジャンルが好きか、またどこに魅力を感じるのかはまったく人それぞれである。
私にとって文房具の「萌え」ポイントは何かといえば、「道具としての実用性とそのために込められた工夫」ではないかと思う。よって、文房具はあくまでも道具であり、目的の達成を助けるために使うものであって、使うこと自体が目的になってはいけない、という主張をことあるごとに展開してきた。
しかし、何事にも例外はある。この際だから白状すると、私にも「使うことが目的で使う文房具」が少なからず存在する。その代表が、万年筆なのである。
万年筆は「便利」!…とはいえないかもしれない
つけペンや筆が主流であった時代ならいざ知らず、ボールペンをはじめ安価で高機能な筆記具がいくらでも手に入る現代社会において、単純に「紙に文字を書く」機能を満たすことだけを考えると、万年筆は決して「便利」な道具とはいえない。
まず、高価である。ボールペンなら100円でも十分な品質のものが購入できるが、万年筆は一般的にエントリークラスとされているものでも価格は数千円。それなりにしっかりしたものを、と思えばあっという間に数万円に跳ね上がり、高級品ともなれば10万円以上の逸品も当たり前である。
買ったら買ったで、インクの補充や洗浄といったメンテナンスに手間がかかる。筆記時、携帯時、保管時の取扱いにも丁重さが求められる。実際に「書く」以外にも、気を配らなければならない点が数多くあるのだ。なぜそんな「不便」なものをあえて使うのか?
この問いに対する回答は非常にシンプルで、つまり単純に、不便さを補ってあまりあるだけの「快感」がそこにあるから、にほかならない。
「書く」ことの肉体的な快感
筆記具であるところの万年筆の快感は、ずばり「書く」という行為を通じて得られるものである。万年筆での筆記によってもたらされる肉体的な快感は、他の筆記具にはない独特のもので、一度その味を知ってしまうと抜け出せず、我々のような「常習者」への道をまっしぐら、というのも決して珍しいケースではない。
筆記具の書き心地を特徴づけるのは、主に「筆圧」と「摩擦」というふたつの力の大小やバランスである。「筆圧」はペン先を紙に押し当てる垂直方向の力のこと。「摩擦」は、ペン先を紙上で移動させる際に生じる水平方向の力のことである。一般的には、このふたつの力の掛け合わせが小さいほど、「軽い」「なめらか」と表現されるような書き心地になるといわれている。
例えば、ボールペンではペン先のボールにまとわりついたインクを紙に「なすりつける」ことで筆記する。そのため、一定以上の「筆圧」でボールを紙に押し当てながらペン先を動かすことが原理上どうしても必要だ。そこで近年台頭している低粘度油性タイプのボールペンは、インクの粘度を下げることで「摩擦」を低減し、「なめらかな書き心地」を実現しているのだ。
一方、万年筆は毛細管現象を利用しているため、ペン先がほんのわずかでも接していればインクを紙に移すことができる。よって、必要な「筆圧」は限りなくゼロに近い。だが、金属製のペン先が紙上を移動する「摩擦」は意外にもそれほど小さくない。実はこれがポイントなのだ。
日本語はカーブやカドが多く、トメ・ハネ・ハライをピタリと決めるペン先の精密な操作が要求される。適度な摩擦は、これを助けてくれるのだ。摩擦が小さすぎるとペン先が逃げ、ブレーキの効きにくい車で曲がりくねった山道を運転するかのように、人によっては「書きづらい」と感じてしまう。「必要な筆圧はゼロに近いが、適度に摩擦がある」万年筆は、ペン先を紙に押し当てることに意識と体力を使わずに、「書く」という操作の楽しさ、気持ちよさだけを純粋に味わえる、いわば筆記具界のラグジュアリーカーなのだ。
「書く」ために「書く」ことの精神的な快感