暴力をふるう子や、片付けが苦手な子 短所は『直す』のではなく…【きしもとたかひろ連載コラム】
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Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。
連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。
人には何かしら得手不得手があるもの。物を失くしがちなきしもとさんが、ある日気付いたことは…。
第11回『向いてなくても、そっちを向いて。』
「あれどこやったっけ?」と年に何回言ってるだろうか。
忘れないようにと思って置いたその場所を忘れるねんなあ。とブツブツ言っていると、男の子が何をしているのかと尋ねてきた。
「使おうと思ってた延長コードを失くしたの」と伝えると、他の職員のもとへ行き、何やら話して帰ってきた。
わざわざ聞きに行ってくれたのかと思いきや、小さな声で「きしもは物をすぐ失くすねんって言ってたで」と教えてくれた。「きしも」とは僕の事だ。
よく知ってくれている同僚からすれば「いつものこと」なのだ。「そうやねん、すぐ失くしてしまうねん」と答えると、「ええのん?」と尋ねられた。
ええのんかと聞かれたら、ええことない気はするけれど、それでも失くしてしまうのん。と胸を張りながら冗談めかして答えると、「いや、ちゃうやん、すぐ失くすって言われてんねんで!怒らへんの?」と言われた。なるほど、陰口の告げ口に来てくれたのか。
陰口を本人に伝えるのは親切ではなく大きなお世話だ。とはいえ、その子に悪気がないのも分かるのでそれについては言及しなかった。
かわりに、「いつも失くしたり忘れたりしてるの助けてくれるから、よお知ってはんねん」と伝えた。「悪口」は嫌だけれど、「失くしたり忘れたりする自分」は、悪いことではないと思ってるよ、と。
大事なことを伝えたつもりだったけれど、その子にはピンときていないようだった。まあそれでもいいかと思った。
「延長コードってどんなん?」と聞かれたので、「コンセントをビヨーンて伸ばせるやつで…」とジェスチャー付きで答えると、「あるやん」と、その子は目の前の机の上に置いた延長コードを指さした。
片付けが苦手な子には、物の「帰る場所」を作ってあげると良い。と、支援の方法を教えてもらった。
どこにしまえばいいかわからないからその辺に置いてしまって部屋は散らかるらしい。そのままどこへやったのか分からなくなるのだそうだ。
なるほど、自分にも活用できるかもしれないからやってみようと思って、思ったまま何年か経った。
そもそもなおす気がないのかもしれない。関西弁で物をしまうことを「なおす」って言うんだけれど、そのなおすではない。しまう気はある。この性格をなおす気だ。
性格をなおす気がないのなら、片付けられるように環境を変えるのがいい。爪切りとかすぐどこかいくもんな。そうすると、なおさら「なおす場所」が必要だ。この「なおす場所」は、「しまう場所」のことだ。
ややこしいな、と思いながら「なおす」という言葉が何故「しまう」という意味なのだろうって考える。
おそらく「もとの状態にもどす」という意味からきてそうだ。
それならば、「性格をなおす」ってなんなんだろう。もとの状態にもどすと言うのなら、僕はもともとこんなんだ。困難だということではなく、こんなものだ、という意味の方言だ。
もし、「忘れ物をしなくてきっちりしていて」という状態が完成形で、それができないのが不完全であるというのなら、僕は一生不完全なままだろう。
「自分のズボラさを容認するのか!開き直っているのか!」という声が何処かから聞こえてくる気がするくらい、不完全な自分への劣等感はいつも感じている。
けれど、自分の性格をなおそうと思うとやっぱりしんどい。欠陥品なんだって思いながら生きていくなんて、そんなに辛いことないよ。
このままじゃダメなのかもしれないって思いつめるくらいなら、いまの自分のままでいいように環境を変えてみよう、という話。
ちょうどネットショップのセールをしていたので、というか、セールで何か買うものはないかなと考えていたときに散らかった部屋を見てそのことを思い出したので、小さな棚を注文することにした。
パッと決まればいいけれど、あれがいいかこれがいいかと迷ってしまってなかなか決まらない。
迷いすぎて疲れてしまって結局買うのをやめる、という経験を何度もしているので、今回は納得してなくても買うことにした。勢いが大事だ。
普段なら手を出さない値段だけれど割引になっていてギリギリ手の届く価格の、いい感じのシェルフをショッピングカートに入れた。
やった。ちゃんとできた。いつもここまでが大変なのだ。これでひと安心。万事解決。一件落着。どうしたものかと日々悩んでいた心に平穏は訪れた。
ただ、棚のことをお洒落にシェルフと呼んでしまうくらいは気分が良くなっているが、目の前の部屋はまだ散らかっている。
まだシェルフは届いていないからだ。いま問題が解決したと思ったが、正確にはまだなのだ。シェルフが届くまでは、いままでと変わらず爪切りに帰る場所はなく、窓の縁に野宿している。
では、いまの状況は何なのだろう。解決したとは言えないけれど、解決に向かって一歩を踏み出した。とりあえずはそういうことにしようか。
「教室から飛び出した子がいて」と、元同僚から聞いた話を思い出す。
追いかけてきた先生が授業に戻るよう声をかけると、その子は「友達と喧嘩をして、そのまま居たら殴ってしまいそうだから出てきたんだ」と答えた。
自分の行動を制御するために、その場を離れたらしい。大人になっても感情のコントロールは難しいし、その感情を行動に表してしまう人も少なくない。
その子は、自分の感情がコントロールできないのを分かっていて、環境を変えて行動に出ないようにしたのだ。
授業中に教室を抜けることの是非は知らない。社会的に正しい行動なのかもわからない。けれど、その子のその行動は、評価されることだと僕は思う。
学童に通う子の中にも、すぐに手を出してしまって咎(とが)められて、その時は反省するんだけれど、それでもやっぱり感情的になったらつい手を出してしまう。そんな子はいる。
二度としちゃだめだよとお願いのような脅しのような約束をする。けれど、また同じことを繰り返してしまう。
少しずつ、その子は「そういう子だ」と周りからラベリングされていく。そうして自分でもダメな人間なんだと思ってしまうようになる。
怒ったり、泣いたり、感情を表出することは悪いことではないから、咎めるだけではなく、その子を否定しない方法で支援をすることが大切だ。
その子を変えようとすると、その子もこちらもしんどくなっていく。
だからといって許されることではない。忘れ物は自分が困るだけだけれど、暴力は実際に傷つく人がいる。
だからこそ、その子の気持ちや頑張りに任せては解決には向かないのだ。
本人が感情をコントロールするのが苦手な場合は「がんばれ!」という励ましよりも、よくないとされる行動を起こさなくていい環境をつくる方がその子にとっては援(たす)けとなる。
「二度とやっちゃダメだよ」「またやった」「反省してないの?」そんな言葉よりも、それをしなくていい環境を作ってあげることが、それを自分で作れるように支援してあげることが僕たちがその子にできることなんだと思う。
けれど、それでもうまくいかないときはある。そんな時は本当にこの支援の方法であっているんだろうか?と不安になる。
むしろ解決からは遠ざかっているんじゃないか?悪化しているんじゃないか?
悩んで進めば進むほど、どんどん理想からは離れていく。やっぱり無理なんじゃないか。そんなことを思いながら、諦めそうになる。そんなことばかりだ。
この連載のどこかで、問題は全て無くそうとせずにその都度ひとつずつ解決していく、という話をした。
トラブルが起きたら落ち込んでしまうけれど、起きるのが平常だからゼロにならなくても落ち込むことはない。ひとつずつ解決していきたい。というような話。
けれど、それでも同じ問題が何度も繰り返し起こったら、進まなくてもいい、繰り返しでいい、と思おうとしてもやっぱり不安になる。
この中学生も、そうやって自分と向き合って葛藤してどうにか起こした行動なのだろう。そんな不安の中で起こした行動を否定してしまっては、もう向き合うことをやめてしまうかもしれない。
ほかの自分が困ることは、それはそれとして置いておいて、まずはその子が殴らないでいれたことを褒めてあげられたらと思う。
殴らないのが当たり前ではあるけれど、その子にとってはもがいて必死にようやくその当たり前ができたのだ。
それをまずは一緒に喜べたら。そんな存在が近くにいることが、その子にとって前に進むための励みになるんじゃないかな。
うまくいかない時に、全然進んでいないように感じた時に、「状況は変わっていないけれど、向き合い方はどうだろう」って考えてみる。
そのままでいいとは思っていないだろう。変わりたくても変われなくて悩んでいるのなら、それは解決に向かって進んでいなくても、解決の方は向いているんじゃないか。
全然進んでいなくても、遠回りでも、解決の方を向いているのなら、まずはそれでいいんじゃないかな。
先が見えないのは不安だけれど、どんな時でも見通しのいい道だけではないから、そんな時に「どうせ解決になんか辿り着けない」と諦めてしまったら、もうそこで道は終わりだ。
「解決に向かっている」と言うと、間違いなく進まなければいけないような気がするけれど、「解決の方を向いている」と思えたならば、今できていないことも遠回りに見えることも、大事なことを大事にするための道の途中なんだと思えるんじゃないかな。
結局、シェルフは届かなかった。
「どうせなら色々まとめて買おう」と思ってセール終了ギリギリまで選んでたら、寝落ちしてしまったのだ。相変わらず僕は僕だった。あの時点ではやっぱり解決はしていなかった。
通常料金に戻った物を買うのも、また別のものを新たに探す元気もなくて、今回は諦めることにした。爪切りたちは放浪を続けることになる。それもまたいいか。
解決に向かっていると思っていたけれど、解決はしなかった。けれど、それでも解決の方は向いている。そう自分に言い聞かす。
いまの「忘れ物をする自分」はなおすのではなく大事にしまっておいて、困らない環境を作る。
そう考えながらも、その大事にしまった「忘れ物をする自分」がいつかどこにしまったか分からなくなって、そのまま失くなればいいのに。と、諦めの悪いことを思ったりもする。
余談ですが
忘れ物防止タグなるものを手に入れた。
「BluetoothやGPS機能を利用してスマートフォンでその位置情報を閲覧することができる、鍵や財布などにつける」という説明を読んでいると、「お前のためにあるような道具やな」と父は言った。奇遇だな、僕も同じことを思っていた。
そのパッケージには「なくすをなくす」と書かれていた。失くすことを無くすのか、素敵なコピーだな、と思っていると、友人が「なくすをなくす、それでも失くす」と呟いた。
自分のことを言われているのに笑ってしまった。そうだった。物を失くすのがぼくという人間なのだ。
危ない危ない、解決した気になっていた…と落ち込みかけていたが、続く友人の言葉に救われる。「でも、だいじょうぶってことやな」。
ああ、いいじゃないか。「それでも失くす、でも大丈夫」。
失くしてしまうことは変わらないけれど、これを持っていることで「でも大丈夫」と安心できる。解決はしていないけれど、解決のほうは向いている。
でも大丈夫、と寄り添える大人でありたいな。この人が見てくれているのなら失敗しても大丈夫、と子どもに思ってもらえるような大人になりたいな。
失くしものをしても探せばいい。忘れものをしても代わりになるものを見つければいい。
床にお茶をぶちまけても、ただ拭けばいい。買ったばかりの卵を落としても、お店のだし巻き卵みたいに贅沢に五個くらい使って焼けばいい。
困らないように予防はするけれど、それでも失敗はしてしまう。だからって、やっぱりだめな人間なんだって落ち込まなくていいのだ。
またやってしまった。うまくいかなかった。状況が悪化した。そんな時に落ち込みそうになったら、解決の方を向いて、でも大丈夫、と唱えてみる。
ちゃんとそっちを向いているのなら、進んでいなくてもきっと大丈夫だ。
きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』
[文・構成/きしもとたかひろ]
きしもとたかひろ
兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。
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