ゼロ戦が再び日本の空を舞う!その姿に心震える By - grape編集部 公開:2016-01-27 更新:2018-05-22 ゼロ戦戦争 Share Post LINE はてな コメント 出典:@simor700 零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)、通称「零戦」が、終戦から70年経った2016年1月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地にて、再び日本の空を舞いました。 遂に飛びました 零戦22型 pic.twitter.com/uwKkM0CFBA— しもさん @10万円ジムニー快調 (@simor700) 2016, 1月 27 ぜぜぜぜ零戦が飛んだー!!@鹿屋基地!!! pic.twitter.com/Yf4oKvQXV9— 四三式大艇 (@type_43) 2016, 1月 27 静かに、力強く飛ぶ零戦の勇姿。過去の戦争に想いを馳せずにはいられません。 実現したのは「株式会社ゼロエンタープライズ・ジャパン」 「日本の空にまた零戦を飛ばしたい!」という想いから、会社経営の傍ら、8年前から零戦の日本里帰りの活動を進めていました。 パプワニューギニアで本機が発見されたときの姿がこちら。 出典:READYFOR かなりボロボロです。こんな状態からフライトができるほどに復元するとは、並々ならぬ熱意を感じます。 出典:READYFOR クラウドファンディングサイト「READYFOR」にて、機体のメンテナンスや飛行テストのための出資を募っていました。 出典:READYFOR 戦争の不幸を二度と繰り返してはならない オーナーである石塚さんは復元した零戦への想いを、こうコメントしています。 大戦を経験した世代、敗戦後の動乱、高度成長期から平成に生まれた世代は勿論、21世紀に生まれた世代でさえ、「零戦」という名前を知っているかもしれません。ただし、零戦は、戦争の象徴ではありません。零戦が生まれた背景と、その運命から正しい歴史が垣間見える重要な文化遺産のひとつです。 第二次大戦で体験してしまった不幸を二度と繰り返してはならない、という強い意思を持ち続ける象徴としても、この零戦を近代日本の道しるべとして終戦70周年である来年度に日本で飛ばし、これから日本を背負って行く若い世代にもその勇姿を見て何かを感じてもらいたいと心から願っています。 READYFOR ーより引用 「おかえりなさい」その勇姿に心震える人多数 零戦、おかえりなさい pic.twitter.com/P30wYgtv2v— 蒼榛 (@e257e657) 2016, 1月 27 鹿屋基地から零戦が飛ぶのを家族で見ることができたわ。零戦が日本の空を飛ぶ姿に胸熱で涙がでた。零戦里帰りプロジェクトの皆さん、ありがとう!!(இɷஇ ) pic.twitter.com/47GikY5vu4— N@ (笑うシェパ子) (@Nao0410) 2016, 1月 27 今日零戦が飛んだのはこれで「ゴール」じゃないぞ。今日がスタートなんだ。これから動態保存が始まるんだ。みんなで少しずつでも零戦の動態保存を支援していこう。飛行機ファンらが積極的に応援しなきゃ誰が支援すんのよ(^ω^)— ぐり@関賢太郎 (@gripen_ng) 2016, 1月 27 零戦の日本でのフライトは戦後初との情報がありますが、実は1995年に茨城県竜ヶ崎飛行場にて飛んだことがあります。 こちらの零戦は、1944年に米軍が日本軍基地を占領したときに無傷で捕獲。零戦研究のために使われていた機体です。 日本の戦闘機の象徴とも言える零戦。その実際に飛んでいる姿に、戦争を知らない世代の筆者も心が震えました。戦争で多くの命が失われた事実を忘れないために、その悲しみの象徴として、いつまでも大切に保管していただきたいものです。 俳優・火野正平さんが逝去 腰痛の治療に励むも腰部骨折に火野正平さんが亡くなったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。 元プロ野球選手 清原和博容疑者、逮捕される ファンは動揺…2016年2月2日、元プロ野球選手の清原和博容疑者が、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕されました 出典 @simor700/@type_43/第1弾!唯一日本人所有の飛行可能な零戦を日本の空で飛ばしたい/@e257e657/@Nao0410/@gripen_ng/零戦・P51ムスタングの飛行 (1995年5月5日 龍ヶ崎飛行場)/復元ゼロ戦、日本の空へ 鹿児島海自基地で試験飛行 Share Post LINE はてな コメント
零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)、通称「零戦」が、終戦から70年経った2016年1月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地にて、再び日本の空を舞いました。
静かに、力強く飛ぶ零戦の勇姿。過去の戦争に想いを馳せずにはいられません。
実現したのは「株式会社ゼロエンタープライズ・ジャパン」
「日本の空にまた零戦を飛ばしたい!」という想いから、会社経営の傍ら、8年前から零戦の日本里帰りの活動を進めていました。
パプワニューギニアで本機が発見されたときの姿がこちら。
出典:READYFOR
かなりボロボロです。こんな状態からフライトができるほどに復元するとは、並々ならぬ熱意を感じます。
出典:READYFOR
クラウドファンディングサイト「READYFOR」にて、機体のメンテナンスや飛行テストのための出資を募っていました。
出典:READYFOR
戦争の不幸を二度と繰り返してはならない
オーナーである石塚さんは復元した零戦への想いを、こうコメントしています。
「おかえりなさい」その勇姿に心震える人多数
零戦の日本でのフライトは戦後初との情報がありますが、実は1995年に茨城県竜ヶ崎飛行場にて飛んだことがあります。
こちらの零戦は、1944年に米軍が日本軍基地を占領したときに無傷で捕獲。零戦研究のために使われていた機体です。
日本の戦闘機の象徴とも言える零戦。その実際に飛んでいる姿に、戦争を知らない世代の筆者も心が震えました。戦争で多くの命が失われた事実を忘れないために、その悲しみの象徴として、いつまでも大切に保管していただきたいものです。