小2男児「ねえ、どう生きていくの?」 子供と触れ合う保育者が考えたことは…
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X(Twitter)やnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。
連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒す文章をお届けします。
第22回『まだ、決めてないかな』
放課後の居残りをしていた2年生の男の子と学童へ向かう道で、ふと「あのさ、僕はどう生きるかって知ってる?」と尋ねられた。
なにか真剣な話をしたり遊んだりするわけじゃなく、ただなんとなく隣で過ごす子どもとの時間というのがたまにあって、僕はそんな時間がとても好きだった。
帰り道が退屈に感じたからなのか、気を使って話題を振ってくれたのか、半分ひとりごとなのかわからないけれど、唐突に投げかけられた哲学的な質問を愉快に感じて、どうしてそんなことを聞くのかと質問に質問で返す。
家でそんなかんじのタイトルの漫画を買ってきたのだと話してくれて、それが当時話題になっている本のことだと理解する。
少しタイトルが間違っているけれど、だいたい合っているから指摘せず、読んだことはないけれど知ってるよと答えてから、読んだの?と尋ねてみる。すると、「読んだけど、むずかしかったわ」と返ってきた。
その「むずかしかった」が、まったく理解できなかったのか、それとも色んなことを感じて整理できないという意味なのかは読み取れないけれど、その話を投げかけてきたということは何かしら感じるものがあったのかなと想像していると、「きしもはどう生きるん?」と聞かれた。読んでないから本の感想は言えないとはいえ、生き方を問われるとは思わなかった。
「どう生きるか?」そう言われるとたしかにむずかしい。ユーモアを交えて当たり障りのない返しをしてもよかったのだろうけれど、その時はふざけてはいけない気がして、けれど明確な答えも見つからず、結果「どうかなあ」とか「難しいなあ」とか曖昧な返事しかできなかった。
「きみはどう生きるん?」と尋ね返す。うーんと少し考えてから「まだ決めてないかな」と答えてくれる。
その子にとっては特別な意味がある言葉ではないかもしれない。ただ、子どもたちに「できればこんな風に生きてほしいな」という希望を少なからず持ってしまっている僕にとっては、その言葉をそれからずっと忘れられずにいる。
まだ決めていないのだ。これからその子が生きていくなかで決めていくんだよなと。
小さな体とアンバランスな大きなランドセルを背負って、トボトボと歩きながら話していたその時の表情や姿を、今でもたまに思い出すことがある。
どうやって生きるか、もう決めたのかな。僕はというと、あれからずっと考えているけれど、まだ決まっていないよ。
「それぞれにいろんな人生があるのに、その頃は知らんかったんやんな」
妹がサムギョプサルを頬張りながらずいぶん前の後悔を話していた。
妹とは、贔屓にしている歌手が同じということもあって昔から一緒にライブに行くんだけど、15年ほど前に地元で初のホール開催があった。好きなアーティストが初めて大きな会場でライブをするということで、必ず参戦しようとチケットを手に入れ、とても楽しみにしていた。
しかしながら、当時学生だった妹は、当日に近づいてからアルバイト先の繁忙期ということでシフトを断りきれず、参加できないことになった。生真面目な性格と責任感から、“遊び”であるライブを“仕事”よりも優先するなんてあってはならないらしかった。
僕は残念に思いながらも、余ったチケットで友人を誘い、初のホールライブを楽しんだ。友人はその歌手のことを知らなかったので興味は薄かったようだけれど、アンコールで誰もが知っている有名なアーティストが応援に駆けつけ、その時だけ「すげえやん」と立ち上がって喜んでいた。そして、その有名アーティストのファンでもあった妹は、その話を聞いてダブルでショックを受けていた。
先日、妹と連れ合いと三人で食事をしている時にその話題になり、「なんであの時ライブの方を選ばなかったんやろ」と嘆いていた。やっぱり後悔しているのかと聞くと「それぞれにいろんな人生があるのに、その頃は知らんかったんやんな」と返ってきた。
やけに大袈裟な表現だけれど、僕には言わんとしていることが理解できた。社会に出て働き出してから、本人から「仕事がつらいけどやめたら人としてダメな気がする」「何歳までにこうならなきゃいけないって焦る」という話をよくしていたからだ。
仕事や組織の都合より自分の都合を優先してはいけないという考えで、自分の思いを押し殺してしまうことがある。責任感と言えば聞こえはいいけれど、あれは本当に責任感なのだろうか。自分がダメな人間にならないように、その烙印を押されないように、という不安や恐怖心を煽られているように感じることもある。
事実、そうやって責任を押し付けたり相手をコントロールしようとする人はいるし、そういった場面にも出くわす。「社会人なんだから当然でしょう」「なんでそんなこともできないの」「みんなやっているよ」と、どこからか圧力をかけられているように感じる。
「男だから女だから」「もうそんな歳なんだから」「社会人なんだから大人なんだから」そんなことで人を測ってはいけないと頭ではわかっていても、自分にはその偏見の目を向けてしまう。近しい人にはそれを求めてしまう。なるべくその通りに生きたほうが苦労が少ないと思ってしまうし、それがその人の幸せだと決めつけてしまう。
そういった葛藤を抱えながら生きていくなかで、その正しいとされる形から外れることもあったのかもしれないと想像する。本人にしかわからないことだけれど、「その頃は知らなかった」という言葉に、今はその呪縛が解けているのかなと想像し、勝手に少し安心する。
いつから「こうでなきゃいけない」って考えるんだろうねという話になり、妹と連れ合いは揃って「学校やな」と勝手な答えを導き出していた。
普段の生活や社会的な空気もあるだろうし決めつけては失礼だろうと思いながらも、子どもが育つ教育現場がそれを助長しているというのを否定できないことに残念な気持ちになる。
「いろんな人生がある」という言葉は、使い古された言葉のように感じられるけれど、その言葉を本当の意味で理解して、その「いろんな人生」を肯定できている人はどれくらいいるんだろう。
いろんな人生があって、いろんな生活があるんだよね。正解なんてないんだよね。そう納得しながらも、こんなふうに言葉にして並べると、大事なことのはずなのに空虚な言葉にも見えてしまう。
「とくに楽しみもなく食べて寝るだけの生活で、なんのために生きてるかわからんで」と、ばあちゃんが話すのを聞きながら、僕はその言葉を悲しいとも寂しいとも感じることはせずに「それが生活ってことやなあ」と返す。
それが生活であり、極端なことを言えばそのために生きている。そのはずなんだけど、僕たちはそれだけではいけない気がしている。
保育にも子育てにも、「生活」がある。保育や子育ての中に「生活」があるというよりは、それらが「生活の中にある」と言ったほうがいいかもしれないし、あるいは「生活そのもの」であるとも言える。
しかしながら、子育てを語るときには、「どうすれば言うことを聞いてくれるか」「どうやってトラブルを防ぐか」「どんなことをすればその子の能力が伸びて、どういう関わりをすればいい子に育つか」というような悩みと、その解決法ばかりになってしまう。
それらは、日々のその子の生活についてというより、その外側で起きている問題の処理であったり、そこにはない「その子」を作り出す方法であったり、およそ生活についてというよりは、人生や子育ての攻略のような文脈のように感じる。
いい子育て悪い子育てという言葉で分けて、間違えないように理想通り進むようにとみんなが不安を抱えながら進んでいく。どこにあるのかわからない曖昧だけど具体的な正しい形を求めてしまう。
なにも、丁寧な暮らしをしようとか、スローライフでいこうとか言いたいわけではなくて、何かのために何かを目指して今が疎かになってしまうことを、僕はその時には気づけずに、後から気づいてばかりだ。
食事をしたり散歩をしていたり音楽を聴いたりダラダラと動画を眺めている時でさえも、その時のためにその時を生きている。生きるためのつらい仕事の時にはなかなかそうは思えないけれど、子どもにとっては、家庭も保育の場や教育の場もその「生活」なんだよね。
いまのその時を、いまのその時のために生きている。それを大人はちゃんと知っておかなきゃいけない。そして、いまのその時の生活を、自分も生きているのだということも。
正しいとか間違いとかではなく、失敗とか成功ではなく、ただ今のその子の人生と自分の人生が、横に並んでいるのだということを。
余談ですが
帰り支度をしていると、ばあちゃんに「これからどこか行くの?」と聞かれたので、「どこ行くか考えてるとこ」と答えると「迷ったらその辺の人に聞いたらええんや」と言われた。
「ぼく今からどこに行ったらいいですか?って聞くんかいな」と笑って尋ねると、「そうや」と真顔で返ってくる。ついでに「ぼくどう生きたらいいですか」と相談してみたらどうだ、とでも言い出しそうだ。
それくらい気楽な生き方もおもしろいかもな。まだ決めてないってことは、これから決めることができるってことやもんね。決めないまま出かけるのもいいけどね。
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[文・構成/きしもとたかひろ]
きしもとたかひろ
兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。SNSアカウントやnoteに投稿している。
⇒きしもとたかひろnote
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