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『軍艦島アーカイブス』当時の写真からたどる美しい『廃墟』に魅せられる

By - grape編集部  公開:  更新:

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明治から昭和にかけて海底炭鉱によって栄えた、通称「軍艦島」。最盛期には東京の9倍もの人口密度を有していたのが長崎市・端島です。その歴史と魅力にせまるWebサイト、「軍艦島アーカイブス」が公開されました。

2014年に公開され大きな反響のあった4K映像に加えて、かつて軍艦島に居住していた伊藤千行氏(1918-1992)の写真や西日本新聞社が所蔵する写真などを織り交ぜて、軍艦島の成り立ちやかつての島内の様子をたどっていくものとなっています。全8話の構成のうち、現在公開されている第1話~第3話までの内容をご紹介します。

「軍艦島の出現」

石炭の発見と島の拡張

江戸時代後期、長崎半島の西の沖合に浮かぶ「端島」で石炭が発見され、漁師らによって長崎などの町で売られていたという。このころの面積は現在の1/6に満たない小さな岩礁のような島だった。

明治に入ると本格的に竪坑が掘られ、良質な石炭の産出地として注目されるようになる。1890年には三菱社によって買収され第2第3の竪坑が開かれるとともに、埋め立てや護岸工事によって島の面積は段階的に拡張された。製塩工場や蒸留水機、社立の尋常小学校なども次々と設立され、住環境も整えられていった。明治末期には現在とほぼ同じ大きさの人工島に成長し、人口は2,000人に達した。

軍艦島アーカイブス ーより引用

1905年の端島。高層建造物はないが島の周囲は埋め立てられ護岸されている。煙が出ているのは製塩工場の煙突。

中央上段の5階建ては、コンクリート製の床板を木の柱で支えるという混構造。1913年。

日本初の鉄筋コンクリート造アパート

石炭の産出量にあわせて増え続ける島の人口。せまい人工島になんとか居住空間を確保すべく、住宅建設には工夫が凝らされた。3階建てや4階建ての木造長屋にとどまらず、コンクリート製の床板を木の柱で支えるというユニークな5階建てアパートなども出現した。さまざまな構造が試された末、1916年には日本初となる鉄筋コンクリート造(RC造)アパート「30号棟」が建設された。

一方、前例のない建築ゆえにいくつかの欠陥もあった。屋上に排水溝がないため大雨時は階段が滝のようになったり、横なぐりの雨水が戸袋を伝って室内に侵入したりと、特に排水周りには深刻な問題を抱えていたようだ。しかしそれ以上に、7階建てのアパートで人口密度を高められたことは、この島にとってとても革新的なことだった。

軍艦島アーカイブス ーより引用

「端島銀座」と呼ばれたメインストリート。右のアパートの地下に会社の購買会、左のアパート1階に個人商店がある。

2014年、同じ場所で撮影。

「端島銀座」から山の上に登る階段「地獄段」が見える。右手は「日給社宅」。

2014年、同じ場所で撮影。

「軍艦島」の由来

より多くの労働力を確保するため、その後も次々とRC造のアパートが建てられていく。30号棟の問題点を改善しさらに高層化した16号棟や17号棟などが出現し、端島はコンクリートの箱がひしめき合う姿を呈するようになった。

出炭量が増え、人口が増え、RC造アパートが増えていく中、1921年に地元の新聞紙面で端島が紹介された。海から見たその姿が戦艦「土佐」に似ているとして、記事の中で端島は「軍艦島」と称された。これ以降、この島は「軍艦島」と呼ばれるようになった。

軍艦島アーカイブス ーより引用

1963年、西日本新聞社ヘリから。このころ建築物の密度はピークに達した。

2014年、ドローンで撮影した軍艦島。RC造建造物も多くが崩壊の危機にある。

「日本を支えた石炭産出」

近代化と石炭

近代化されてきた明治期の産業革命から、炭鉱開発が日本各地で急速に進んだ。製鉄原料や蒸気機関の燃料として、石炭は大量に必要とされるようになった。

良質な端島の石炭はおもに八幡製鉄所の製鉄原料炭として使われたという。石炭は端島の桟橋に着いた運搬船にそのまま積載された。日本の近代化が進むにつれ採炭量は増加し、そのための鉱員も多数必要になった。端島は増加する鉱員とその家族が居住できるよう開発されていき、軍艦島と呼ばれる姿に変貌していった。

軍艦島アーカイブス ーより引用

島での活動とともに上る黒煙。この様子がいっそう軍艦のイメージを強くした。

戦中戦後における端島の役割

端島の出炭量がピークを迎えるころ、太平洋戦争がはじまった。戦時中の貴重な資源供給のために端島が担った役割は大きかった。戦火が激しくなると労働時間制限が廃止され、坑内勤務時間が12時間を超えることもあったという。

戦後復興期においても石炭は貴重かつ重要な資源であり、基幹産業として国から支援された。全国的に食料と物資が極端に不足していた終戦直後にあっても、端島には優先して食料配給が行われ、鉱員の給与水準も高く維持されたという。その後のテレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家電製品も、全国にさきがけて普及したといわれる。日本を支える石炭産出のため、端島は手厚い待遇を受けていた。

軍艦島アーカイブス ーより引用

2014年、ドローンで撮影。

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出典:YouTube

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出典:YouTube

過酷な採掘現場

一方で労働環境は過酷であった。地底の坑道は蒸し風呂のように熱く、炭塵が充満した。トロッコやリフトを乗り継いで採炭現場まで向かう人々の表情には特有の緊張感がある。トロッコを押す人の腰には重いバッテリーが着けられおり、現場の唯一の明かりとなるヘッドランプを点した。

無事作業を終え、坑内から上がった人々はまず浴場へ向かう。そこには2つの浴槽があり、はじめの浴槽でまず炭塵を洗い落とした。そのためこの湯船は真っ黒で、次の普通の浴槽にはきれいに炭塵を洗い流したあとにようやく入ることができたという。その後、「端島銀座」を通って帰宅する人々が着るシャツは、浴槽とは対照的に真っ白に輝いていた。

軍艦島アーカイブス ーより引用

入坑前の鉱員の様子。特有の緊張感に満ちている。

石炭を積んだトロッコを幹線軌道まで押していく。

仕事を終え「端島銀座」を通って自宅に戻る人々。

「海の脅威との戦い」

人工島の宿命

端島にはいつもかならず上陸できるとは限らない。しけで海が荒れたときなどは船が大きく揺れ、接岸できなくなるためだ。外洋に突き出した小さな端島は波のうねりや潮の流れの影響を直接受けるため、船の着岸や荷揚げは困難な作業であった。

しかしそれよりも深刻だったのは、島を襲う高潮や台風である。大きな台風のたびに護岸は破壊され、竪坑は浸水し、木造建造物は倒壊した。端島はもともと人が居住するのに適した島ではなく、海中炭鉱である岩礁を最先端の技術で人が住めるように改造しつづけて形成された人工島だ。ゆえにこれらの海の脅威と隣り合わせであることは、はじめから運命付けられていたともいえる。

軍艦島アーカイブス ーより引用

1956年8月、台風の影響で荒れる海。倒壊している木造家屋が見え、住民は高いところへ避難している。

爪痕を残した台風

端島のメインストリート「端島銀座」には、海が荒れると護岸から舞い上がった海水が降りそそぐ「潮降り町」と呼ばれる一画があった。降りそそぐくらいならまだいい方で、台風のときには島内に洪水のように海水が浸入したという。波しぶきは7階建てアパートの屋上に避難した住民が見上げるほどの高さにまで達した。

そして護岸が崩壊したとき、端島は最悪な状態に陥ってしまう。護岸の積み石は激流に乗って島内に侵入し、木造建造物や他の護岸を破壊していった。1956年8月に台風9号が襲来したときの様子は伊藤千行氏の写真に鮮明に記録されており、その深刻な被害を今に伝える。

軍艦島アーカイブス ーより引用

アパートの屋上から見守る住民。強い波しぶきが島を襲う。

1959年、「端島銀座」の真ん中にあった木造体育館が倒壊した。

防潮壁を兼ねたRC造高層アパート

倒壊した木造建造物の跡地では、次の台風には耐えうるよう鉄筋コンクリート造(RC造)で再建された。新しいRC造高層アパートは海に背を向けるように建てられ、防潮壁の役割も果たした。端島の西側に要塞のようにRC造高層アパートが立ちこめているのは、こうした建て替えや再建が繰り返された結果である。

はじめは人口密度を高めるために開発されたRC造高層アパートだったが、それは海の脅威から島を守る役割をも果たすようになった。アパートの各住戸も風通しや日照よりも、防潮や防水を優先して設計された。とはいえ常に潮風と波しぶきにさらされている状況では、鉄筋コンクリートの寿命は短くなってしまう。まして無人化後はなおさらで、遺構保存の観点からは、この崩壊と浸食をいかに食い止めるかが大きな課題となっている。

軍艦島アーカイブス ーより引用

台風が去り復旧作業がはじまる。護岸が一度崩壊すると積み石が波に乗り、周囲の建物を破壊したという。

木造体育館倒壊後、跡地に防潮壁を兼ねて左の8階建てアパートが建てられた。1961年。

遺構保存の観点からは、崩壊と浸食をいかに食い止めるかが大きな課題となっている。

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出典:YouTube

世界遺産登録に向けて

軍艦島は、2006年には経済産業省の支援を受け、世界遺産登録に向けてさまざまな手続きが進められている産業遺産です。2008年には長崎市で「長崎市端島見学施設条例」と「端島への立ち入りの制限に関する条例」が成立しました。上陸見学できるいくつかの観光遊覧船が運行されています。歴史に思いを馳せながら観光に行ってみてはいかがでしょうか。

今後も貴重な写真や情報が追加されていく「軍艦島アーカイブス」。更新が待ち遠しく感じますね。

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出典
軍艦島アーカイブス / 軍艦島 4K (Ultra HD) - Japan's "Battleship Island" 端島 Hashima

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