コロナで日常が壊れた保育所 余裕のない日々で、保育者が学んだことは…【きしもとたかひろ連載コラム】
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Twitterやnoteで子育てに関する『気付き』を発信している、保育者のきしもとたかひろさん。
連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』では、子育てにまつわる悩みや子供の温かいエピソードなど、親や保育者をはじめ多くの人の心を癒します。
新型コロナウイルス感染症の感染拡大によって、日常が壊れた学童保育所。そんな中で同僚が漏らした言葉は…。
第7回『たからくじが当たらなくても。』
「余裕がないと人が出るんですかね。自分の性格めちゃくちゃ悪いって思いますわ」と同僚が漏らした。ああ、ぼくも同じことを思っていた。
こんな保育がしたいんじゃないのに、口ばっかりじゃないか、自分はこんなにダメな人間なのか。この数ヶ月ずっとそんなことを考えている。
ぼくの務める学童保育所は、「日常の忙しさ」という点で言えば教育・保育業界の中では余裕のあるほうだ。「だから楽だ」ということではなくて、余裕があるからこそ質の高い支援を目指せると思ってやっている。
それが、コロナ禍によって崩れた。小学校の休校措置によって、ひとりで家で過ごす子どもたちの受け入れ先として、学童保育所に白羽の矢が立ったのだ。
文字通り「緊急事態」のなかで、職員不足、不明瞭な情報と感染対策、体力的・精神的な負担、自分も罹るかもしれない恐怖、見通しが立たない不安…いろんなものが重なり、少しずつ余裕がなくなっていった。
普段はゆとりを持って関われていたはずなのに、つい口うるさくなったり丁寧に対応できなかったり、ひどい時には感情的に怒ってしまったりもした。
小さなことにイライラしてしまい、子どもたちにつらく当たってしまった時には「自分はなんてダメな人間なんだ」と、反省とは呼べないただの質の低い自己嫌悪に陥った。
自分たちがとりわけ大変だった、というような苦労話をしたいわけではない。
どれだけ子どもとの関わり方や知識を深めていても、普段から気をつけていても、余裕がないと“なににもならない”のだと思い知ったという話。
子どもと向き合うことも、丁寧に関わることも、ぼくが「できた人間」だからできていた訳ではないのだ。たまたま余裕を持てる環境だったからできていただけなのだ。
やらなきゃいけないことが増えることよりも、余裕がなくなることのほうが精神的に追い込まれていく。今まで無理なくやれていると思っていたことでも、ただ余裕がなくなるだけでうまくできなくなることがある。
「余裕がある」ことを、ハンドルの「あそび」に例えた話を聞いたことがある。ハンドルを回したときにすぐにタイヤが動いてしまわないようになっている、その少しの余裕があるからデコボコした道でもまっすぐと走れる。
頑張りすぎるなとか型にはまるなという文脈だっただろうか。とにかく人生にもあそび(余裕)が必要だ、という話だったような気がする。
なるほど、たしかに人生に余裕は必要だ。けれど、それは「まっすぐ走るためにあったほうがいい」ハンドルのあそびなんかではなく、「ないと走れない」ガソリンなんじゃないのか。
「ないと故障してしまう」エンジンオイルかもしれない。車に詳しくないので、例えが合っているのかわからないけれど、ようは、余裕は「あったほうがいい」ではなく「ないといけない」ものだった。
子育てを始めてから「自分がこんな人間だと思わなかった」という悩みを抱く人がいる。やらなきゃいけないことが増えて、余裕もなくなる環境なら、なおさら今までの自分ではいられないだろう。
あまり怒ったりしないとか、穏やかに人と接することができるというのは、その人がもともと持っている素質ももちろんあるだろうけれど、多くは環境によって「そうしなくてよかった」だったり、「そうあれていた」だけだったりするのかもしれない。
余裕がなくなった時に出てくる自分って、「人が出る」という言葉の通り「本来の自分」なんだろうか。その人の本性が出る、とういう言い方をするけれど、そもそも本来の自分なんてあるんだろうか。
そのときの環境、もちろん周りだけでなく自分のコンデションも含めて、その時々の自分がいるだけなんじゃないか。
そのときの「今の自分」が、自分が描いている理想とは違って「自分はダメだ」なんて思ってしまうのかもしれない。
うまくやっているように見える人を見て、自分はあんな風にできないと劣等感を抱いてしまうけれど、その人はそういう環境にいるだけかもしれない。
つらく当たる人を見て、あの人はダメだと言いそうになるけれど、いま余裕がない環境にいるのかもしれない。
自分がいまこんななのは、全然ダメだなって思っているいまの自分は、「ダメな人間」なんじゃなくて「いま余裕がないから」なんだきっと。それが言い訳だとしても、なんとかそう言い聞かせて、いまどうにか文章を書いている。
そういえば、今まで一度でも100点の保育をしたことがあるんだろうか。と少し考えてみた。理想通りの、一片の過ちもない完璧だったといえる保育があっただろうか。
無いかもしれないな。測れるものではないから主観になってしまうんだけれど、主観ってだいたい自分に甘いはずなのに無いって言えるから間違いないんだろう。
それは自分が謙虚だとか、「今に満足しては成長できない」というような向上心の類ではないと思う。
わざわざ考えることでもなかった。ずっと前から分かっていることを確認するように、今さらながら「100点の日、そんなものは存在しないのだ」ということに気づく。
理想のとおりってなんだろう
宝くじが当たったらなにがしてみたい?
路線バスの一番後ろの席に座って祖父と話したのを思い出す。たしか、千里中央という大阪市街から少し外れたニュータウンの駅にあるスターバックスでコーヒーを飲んだ、その帰りだったと思う。
なんでそんな質問をしたのか覚えていない。車内広告を見て思いついたのか、話の間を持たせようとしたのか、はたまたガンを患って余命宣告されていたじいちゃんの残りの人生で何かできないか考えて、浅はかながら質問の答えに「ヒント」を探したのかもしれない。
祖父は「ベンツに乗りたいな」と答えた。特別に車好きというわけではない祖父にとって知っている高級車がベンツだったのだろうか、それとも若い頃に男の憧れとして抱いたのを思い出したのだろうか。理由は聞かなかった。
ガーデニングが趣味でばあちゃんと毎日デートしている、そんなぼくが知っている祖父のイメージとは違っていて意外だった。他にも、ハワイに行ってみたいとか大きなガーデニング庭園が欲しいとかそんなことを言っていたような気がする。
いや、もう10年も前の話だから、言っていないことを僕が勝手に記憶に加えているだけかもしれない。
どちらにせよ、どれも、ニートのような生活をしていた僕には叶えてあげられそうにないものだった。
いや、宝くじが当たって叶う夢は全部お金にものを言わすものなんだから、そもそもの質問が間抜けだったのだ。
じいちゃんは、ガンが治らないまま、そして孫の宝くじは当たらずベンツに乗れないまま、黄泉の国に旅立ってった。その頃何度も「もっともっとやりたいことも僕ができることもあったんじゃないか」って後悔した。
けれど、最近思うのが、きっとじいちゃんにとっては満点の人生だったんじゃないかってこと。もっと、って思うのは残ったぼくが勝手にじいちゃんの人生を足りてないものにしているだけで、それって傲慢で失礼なことだよね。
じいちゃんは100%を生きたのだ。ベンツには乗れなかったけれど、ハワイには行けなかったけれど、間違いなく幸せだったと思う。じいちゃんとやりたいことはまだまだたくさんあったけれど、それでもやっぱり、その時のぼくも間違いなく幸せだった。
子どもたち一人ひとりの姿を見て、感情的にならずに冷静に話をして、じっくりと丁寧に関わる。そんな保育がしたい。専門知識を持って子どもの育ちを焦らずに見守って、何が起きても動じずに臨機応変に的確な支援をしたい。
できれば誰も傷つけることなく過ごしていたいし、誰も嫌わずに誰にも嫌われずに生きていたい。
それが現実的ではない「理想」なのはわかっている。けれど、だからって、その理想を捨てられるほど諦めがいいなら、「自分なんて」と悩んだりしない。
どうせ人を傷つけてしまうから、といって傷つけることに鈍感になっていいのかな。ぼくは嫌だな。理想を捨てるのは現実主義なのではなくて、諦めとか言い訳だよね。
だから、理想に向いていられるように、それが実現できなくても「失敗じゃない」ってことにしようと思う。理想通りにいかないのが失敗なら、人生のほとんどが失敗になってしまうもの。
子どもの話をゆっくり聞いてあげたいな。けれど忙しくて後で聞くねって言ったまま子どもは帰って行っちゃったな。
そんな後悔や反省ばかりをずっと繰り返している。50点とか60点とかの日ばかりだ。減点法ならきっと0点の日だってある。
理想に近づいたり離れたり、その時その時で最善の形は変わる。それが100点かもしれないし、50点かもしれないし、目も当てられない点数かもしれない。
けれど、それがその時々のその環境で出せる最高点なんだ。それは、諦めでも惰性でもない。
これまでと比べて「こんなことができたはずなのに」ということがこれからの生活では特に増えてくると思う。 ぼくはその度にそれを「足りていない日」にして落ち込むのかな。やっぱりいい一日だったって思って過ごしていたいよね。
だから、「できたらいいな」っていう思いは大事にしながら、でもそれは「できなきゃダメ」ってことではないよ、と言い聞かせて、雨なら雨で晴れなら晴れでその日できることをして、できなかったことを許してやっていきたいなって思う。
余談ですが
お寿司を買った時についてくる醤油には[こちら側のどこからでも切れます]という表記がある。
あらかじめ切り口が付いていて[あけくち]と表記されているものもある。どちらも力加減を間違えれば中身の醤油が飛んでしまうので慎重に開封する。たまに失敗する。
祖父は、[あけくち]があってもハサミを出してきて丁寧に切るような人だった。手がヌルヌルして開けられないからハサミで、とかではなく決まり事のように初めからだ。
チャック付きのお菓子もハサミで切るものだから、手で開けた方が切り口が揃わなくて次に開けやすいのに…と僕は思っていた。
いつも忘れ物をする僕に「しっかりせんかい」と叱り、20歳の誕生日には[忘れ物をしないこと]を目標にさせられた。僕は一年間その目標を忘れて過ごした。
真面目で几帳面な祖父は花を育てるのも好きで、僕が初めて一人暮らしを始めた時にゼラニウムの鉢をプレゼントしてくれた。そして僕はその花をあっさりと枯らしてしまった。
ある時「じいちゃんみたいにできへんわ」と溢したことがある。ガサツで忘れ物ばかりして靴下すぐ片方なくなるし花もすぐに枯らしてしまう。
昼までぐうたらしてるし、じいちゃんみたいに丁寧に生きられない。そんな自分が少し嫌だなあって思ったりしていた。
すると「わしがお前くらいの頃もそんなんやったわ」とじいちゃんは答えてくれた。絶対うそや、と僕は思った。じいちゃんは若い頃もきっとしっかりしていたに決まってる。
けれど、いま思ってみる。今じゃない遠い未来、僕もじいちゃんくらいの歳になればあんな風に生きられるかも、って。無理かもしれないけれど、歳をとって余裕ができたならできるかもしれない。
そうやって期待してみるだけで、それができていない今を、少しだけ許してあげられるような気がした。
きしもとたかひろ連載コラム『大人になってもできないことだらけです。』
[文・構成/きしもとたかひろ]
きしもとたかひろ
兵庫県在住の保育者。保育論や保育業界の改善について実践・研究し、文章と絵で解説。Twitterやnoteに投稿している。
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